コラム3: 強豪アスリートはなぜ強いのか
公開日: 2015年12月1日火曜日 持論
こんにちは、リトピです。
このコラムでは、ピアノ以外の雑多なことを書いていきます。今回は、強豪アスリートについて。
強豪アスリートが強い理由とは
いきなりですが、強いアスリートの条件とは何でしょうか?良く言われるのは「スピード」や「パワー」、それに球技であれば特に「コントロール」も重要なパラメータとなります。
でも、本当に、それらを持ち合わせているからといって、強いアスリートとしていつまでも活躍できるのでしょうか?
それぞれの引退理由
まずは、アスリートの最後、から見ていきましょう。例えばこんな理由が挙げられます。
- 歳をとり過ぎたから
- 良いプレイが出来なくなってしまったから
- ケガをしてしまったから
あと一つの「ケガ」には2種類あります。それは…
- 外部要因によるケガ(人との衝突、地面のコンディションの悪さによる転倒など)
- 身体の使いすぎによるケガ(故障)
それをどこまで回避できるか。これを1人のアスリートにゆだねるのは荷が重すぎる気がします。それこそ、練習中に起こる人との衝突を避けるために、移動方向を決めるとか、利用するコートを時間制にするとか、もっと大きな組織がルールを作るべきでしょう。
しかし、もう一つの「身体の使いすぎによるケガ(故障)」はどうでしょう。はたから見ると、「そんなにボロボロになるまでよく頑張った!」という形で、一種の「美徳」のように捉えられます。さらには、「必死に頑張った【けれども】、ケガしたのだから仕方がない。」や、「それまでの努力が【無駄に】なっちゃったね。。。」というような話まで飛び交うこともしばしば。確かにそのアスリートは「スピード」や「パワー」、そして「コントロール」をより良いものにしようと必死に頑張っていたと思います。
でも、ちょっとまって。必死に頑張った結果、ケガをすることなく成功を収める人はたくさんいるし、ケガ・故障から復活して現役引退までスポーツを続けるアスリートだっている。その人たちとの違いって何?
ここで思い出してほしいのはこの言葉。「必死に頑張った【けれども】…」や、「それまでの努力が【無駄に】…」。いえいえ、「身体の使いすぎによるケガ(故障)」を負った彼らは、必死に努力していたことが決して無駄になったわけではありません。キチンと【ケガ・故障】という明確な結果が表れているじゃないですか。そう、身体の使いすぎによるケガ・故障をしたのは、「その努力の積み重ね」なんです。変な言い方ですけど。
本当に強いアスリートとは、ケガをしないアスリート
さて、ここでわかってきたかと思いますが…いくらプレーが上手で、「スピード」や「パワー」、「コントロール」を持っていても、シーズン毎にケガされては困ります。下手すると運動できなくなるくらいの大きなケガをしてしまい、選手生命が絶たれることだってあるでしょう。それでは、本当に強いアスリートとは言えません。本当に強いアスリートとは、プレイが上手、というよりもケガをしないアスリートだと、私は思っています。
ここで、もりたカイロプラティック「イチロー選手が語る「ケガをしないポイント」とは。」という記事でイチロー選手が「ジャンクスポーツ」で語っていた内容が紹介されていたので、それを取り上げてみます。
イチロー選手はまず、「人間が本来持ってるバランスって必ずある」このセンサーの話、まさにシャンドール氏の言う身体からの「警告」そのものじゃないか!(詳細は、記事「なぜ「脱力」は敵なのか4: 脱力なんていらない」を参照) ピアノはスポーツと同じ、というのであれば「脱力」なんて言葉(参考『ピアノ脱力奏法ガイドブック 1』)よりも、こういう本質的な部分から学ぶべきなんじゃないか?
(中略))
さらに、「パワーとかを勘違いして肉体を大きくすることは、絶対にダメなこと」と続けます。
その理由がこうです。
「いろんなセンサーを体は発してくれるのに、それを自ら殺していくことになる。ここが危ないよっていうポイントを、教えてくれない体に自分でしてしまう」
さらに、イチロー選手はこのように続けています。
「ケガを野球の一部だという解釈をしてしまう。でもそうじゃない。防ぎ方は絶対にある」これもそう。ピアノにだって疾患はありますが、自分も含めて周りが「一生懸命弾きすぎたらこうなる(腱鞘炎になる)よね…」という安易な発想だと、絶対にケガをする人は減らないでしょう。 そういう悲しい人を増やさないためにも、もっと別の視点、そう、人間の身体とは?というところから本格的に考えるべきではないでしょうか。
「一生懸命やったらこうなる(ケガをする)よね、という安易な発想があると、その部分では絶対に進んでいけない」
まとめ
指・腕を高速に動かさなければならないピアノという音楽・芸術に、 スポーツの考えを取り入れるのはとてもいいことだと思いますが、 「形」だけ取り繕ってもうまくいくはずないのは言うまでもありません。(詳細は、記事「ピアノ・コラム3: 「手の形は卵を包むように」の真実」を参照) それに、スポーツで言われている「脱力」は、今日のピアノで言われている「脱力」とは、まったく次元が違います。(詳細は、記事「コラム1: スポーツ界における「脱力」とは」を参照)
無理な身体の使い方をしてピアノを無理やり上手にさせても、いつか絶対に身体を壊し、演奏すらできなくなります。 せっかく、ピアノにスポーツの考え方を取り入れるのであれば、「脱力」などといううわべだけの言葉に惑わされず、 今回の記事の内容のような、もっとスポーツの本質的な部分を、ピアノに活かしてほしいですね。
では。
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