ATコラム1: 「アレクサンダー・テクニーク」持論(メモ)
公開日: 2015年12月4日金曜日 アレクサンダー・テクニーク 持論
こんにちは、リトピです。
「アレクサンダー・テクニーク」について、いろんな文献を読んで様々な考察をしてみたのですが…頭の中で、資料が机の上にたまっている状態になっていたので、いったん、自分の頭の中を整理しようと思います。今回はちょっとしたメモ書き程度の内容ですので、細かいところには言及していません。ご容赦いただければと思います。
いろいろ整理が付いたら、後でキチンとした記事にしようと思います。
「アレクサンダー・テクニーク」の神髄
「アレクサンダー・テクニーク」の神髄は、簡単に言うと「最初に、頭-首-背中に注意を向けて」おくことでしょう。これをプライマリー・コントロールと言いますが、注意したいのは、そこに【何かをする】のではなく【何かすることをやめる】という点です。
この【何かすることをやめる】は【ノン・ドゥーイング】や「抑制」と呼ばれます。なぜわざわざ英語(カタカナ)で書くかというと、日本語における「何もしない」とはまったく意味が違うからです。例えば…
- 休日は何の予定もなく、特に「何もすることはなかった。」
- 美容室で髪を切ってもらった。そのとき私は椅子に座ったまま「何もしていない。」
- オマエっ!触っただろっ!!…いいえ、「何もしてません。」
「アレクサンダー・テクニーク」でとっても大事な【ノン・ドゥーイング】とは、「何もしない」という選択をする、ということです。「何もしない」という状態でも、アナタの意識(ここでは「方向性」と呼ばれる)は必要なんです。この理解がとても難しい。
例えば、腰痛もちの人。「何もしない」のに腰が痛いんじゃなくて、「何も【意識】していない」から腰が痛いんです。アナタが「何も【意識】していない」とき、何らかの要因(大抵は(悪い)習慣)で、自ら腰を痛める体勢をとっています。腰痛は、腰が弱い(悪い)のではなく、アナタ自身が腰を悪くさせている、というのが原因です。
つまり、アナタは、「何も【意識】していない」せいで、アナタ自身の(悪い)習慣が、アナタに「何かをさせて」いる、ということになります。この「何かをさせて」いる(悪い)習慣を断ち切るのが【ノン・ドゥーイング】という意識。これを理解するためには、書籍『アレクサンダー・テクニークの学び方』と、楽器演奏されている方であれば、『音楽家のための アレクサンダー・テクニーク入門』も読む必要があるでしょう。
この【ノン・ドゥーイング】の意識のさせ方(正しい身体の使い方の本質を見つける方法)を学ぶのが「アレクサンダー・テクニーク」だと、私は考えています。
決して、「正しい身体の使い方を学ぶ」わけでもなく、「その本質を勉強するため」でもなく、「見つけるため」でもないのです。「アレクサンダー・テクニーク」は、その本質を見つける方法を学ぶのです。だからややこしくて取っつきにくい。でも、会得出来れば一生役立つものとなります。
「アレクサンダー・テクニーク」の個人練習法
単なる案です。床屋・美容室で「アレクサンダー・テクニーク」の「抑制」と「方向性」の練習をするのはどうでしょうか。
床屋や美容室で髪を切ってもらっている間、たぶんとっても暇でしょうから、とりあえず「頭-首-背中に注意を向けて」みてください。このとき、何か自分から動こうとする必要はありません。前後右左の髪を切られているとき、アナタの頭-首-背中はどう反応して(しまって)いるのか、感じてみてください。必ず何らかの反応(癖・習慣)をしているはずです。ちょうど目の前に鏡があるため、頭の向きや首の角度、肩の高さなどを自分で目視し、確認できるのが、床屋や美容室で「アレクサンダー・テクニーク」を練習するメリットです。そして、とっても暇なので、練習する時間もたくさんあります。
以下、簡単な説明です。各言葉の詳細は『音楽家のための アレクサンダー・テクニーク入門』などの「アレクサンダー・テクニーク」の書籍をご覧ください。
「抑制」
前後右左の髪を切られているときに、無意識のうちに何らかの反応(癖・習慣)をしてしまうことを止めてみてください。何の反応も示さなくなればOK。これがいわゆる【ノン・ドゥーイング】です。
ハッキリ言って、この「抑制」という項目、特に独学で「アレクサンダー・テクニーク」を学ぶとき、最初にして最難関な内容だと、私は思っています。本来ならば「アレクサンダー・テクニーク」を受講し、アレクサンダー・テクニークの教師によるハンズ・オンなどで、無意識のうちに起こる何らかの反応(癖・習慣)に気付くことができるのですが、それを自力で見つけるのは本当に大変。
そして、その習慣を見つけたとしても、それを「抑制」するのがさらに大変。なぜなら、この動作が習慣と気付いた時には、【いつの間にか】その習慣が始まっているわけですから、そもそも自力ではその習慣を止めようがないんです。
でも「アレクサンダー・テクニーク」の創始者であるF.M.アレクサンダー(詳細: 日本アレクサンダー・テクニーク協会)は、彼自身がこの「アレクサンダー・テクニーク」を作ったわけですから、根気よく頑張れば、自力で会得することは絶対に出来るはず。いろんな書籍を読む限りでは、彼は「解剖学」や「心理学」、そして「哲学」の深い知識を持っており、それらを組み合わせて「アレクサンダー・テクニーク」を考案した、と推測できるので、自分自身もそれに倣ってみます。
「方向性」
さて、無意識のうちに何らかの反応(癖・習慣)をしてしまうことが「抑制」出来たら、今度は良い姿勢になるための「方向性」を決めます。「方向性」は、こっち(主にポジティブ方向)に意識を向けよう!という考えです。つまり、自分の意思でその方向に身体を動かすわけではありません。ここで自分の身体をコントロールしようとすると、先ほどの「抑制」が崩れます。ここで、また大変なのは、この「身体をコントロールしたい!」という欲求も「抑制」しなければならない、というところです。だって、髪切られている状態で、本当に身体を動かしちゃったら、せっかくの良いスタイルが崩れちゃうからねぇ
良い姿勢になるための「方向性」は、「解剖学」や「キネシオロジー」の知識があればベストですが、ネットでも十分な知見は得られるので、そういったところをご参照ください(例: TOTAL HEALTH SUPPORTERS)。ただし、ネット上の情報が正しいかどうか、を見極める力が必要ですが…
この【上向き思考】の「方向性」を、「抑制」の中で持っていれば、どんな体勢になっていても問題ない、というのが「アレクサンダー・テクニーク」の考え方。この2つの考え方は、一般的な考え方とは違う(とにかく【何かをやらないといけない】という意思)ので、最初は本当に理解に苦しむと思います。実感すればすぐに納得できるんですけどね…
まとめ
もちろん、これらを意識したからってすぐに身体の正しい使い方が出来るわけではありません。この2つの練習をしているうちに、どうすれば(どう【ノン・ドゥーイング】すれば)、少しずつ「身体の正しい使い方の本質を見つける方法」がわかってくるので、少しずつ良い習慣が身に付き、最終的には【いつの間にか】、身体の動作が良くなってくるはずです。
まとめとしては…【何かをする】ことで結果を出す、という考え方は、そろそろやめた方がいいでしょう。
身体の使い方とスポーツ、楽器演奏
全体の流れ
私のイメージしている身体の使い方とスポーツ、楽器演奏の関係は以下の表1のような感じ。
ここで面白いのは、まず誰かがおかしいぞと気付いて定性的な理論から始まっているところ。 この段階では、まだ実証はないが、「どうやら正しいらしい」という感覚で少しずつ周りに広まってくる。 それに気付いた研究者たちが定量的な理論へと落とし込んでくれる。
ピアノは、私の記事「番外編4: 「脱力」で、高速和音打鍵は絶対に出来ない」で取り上げた古屋先生が第一線で研究されていますね。恐らく、ピアノについては、今(2015年現在)の段階はココ(科学的実証がスタート)だと思います。
そして、私が考えているのは、その先にあるであろう「定量的な理論が確立」というところ。最終的にはピアノ演奏も、機械(車など)はもちろん、スポーツにも応用されている「インピーダンスマッチング」の理論が重要になる、と考えています。あの新しく考案した「インピーダンスマッチング」奏法は、適当に考えたわけではありません。一応(?)理にかなってます。
<補足>
- イチロー選手の発言
- シャンドール氏の『ピアノ教本』
- スポーツにおけるインピーダンスマッチング
プライマリー・コントロール
私は、「身体の使い方を極めようとすると、必ずプライマリー・コントロールという考え方に到達する。」そして、「全てのスポーツ、楽器演奏の(正しいとされる)動作の理論は、必ずプライマリー・コントロールを基本としている。」と、考えています。その考えを図にしてみました(図1)。
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図1. 私の考えるプライマリー・コントロールの【道】 (P・C = プライマリー・コントロール |
身体の使い方を極めようと思っていろいろ試行錯誤しても、最終的には、(本人が知っているかどうかは別として)必ずプライマリー・コントロールという考え方に行きつくはず。 そして、スポーツや楽器演奏の動作の理論を立てるとき、良いとされる動作は、(本人が知っているかどうかは別として)必ずプライマリー・コントロールを基本にしているはずです。それくらいプライマリー・コントロールは強力なものだと考えています。
そして、この道から外れる(良くないとされる動作をする)と、プライマリー・コントロールの範疇から外れた動作となり、 ケガをする可能性が出てきます。
ところで、なぜ、「アレクサンダー・テクニーク」の創始者であるF.Mアレクサンダー(詳細: 日本アレクサンダー・テクニーク協会)は、このプライマリー・コントロールに気付けたのか。誤解を恐れず言いますが、彼は、人よりも、ものすごく身体の使い方が悪かったんだと思います。そのため、舞台で声が出ない、という症状に陥ってしまった。ここでよかった(?)のは、エンドゲイナーである医者が治そうとしなかったところ。そして彼自身が「自分で何とかしなければ!」と思った結果、「アレクサンダー・テクニーク」という理論を構築したのは、本当にすばらしい。
しかし、他の人はどうでしょう?もし普通の(そこまで悪くない習慣を持っている)人が、身体の使い方を極めようと思ったら…。恐らく、F.M.アレクサンダーとは違い、プライマリー・コントロール相当の感覚を無意識のうちに身に付けてしまうでしょう。
つまり、この私の考えで重要なのは、【本人が知っているかどうかは別として】の部分。「アレクサンダー・テクニーク」の目的の一つは、プライマリー・コントロールを手に入れるためでしょう。しかし、スポーツや楽器演奏の目的の一つは、テクニック向上などです。プライマリー・コントロール相当の感覚を無意識のうちに身に付けてしまった著者の執筆する書籍にはプライマリー・コントロールという話自体載っていないかもしれません。
「プライマリー・コントロールの道」と現在出版されているピアノの書籍を照らし合わせる
私の「ピアノ書籍: 理系ピアノ奏者におすすめの書籍」で紹介させていただいている書籍を、私のイメージした、プライマリー・コントロールの道に重ねてみます(図2)。
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図2. プライマリー・コントロールの道とピアノ書籍の関係図 (A・T = アレクサンダー・テクニーク, P・C = プライマリー・コントロール) |
当然「アレクサンダー・テクニーク」を知らない著者もいるでしょう。ここで最悪なのは「アレクサンダー・テクニーク」的に間違ったことを書いてしまっている場合(例: 『ピアノ脱力奏法ガイドブック 1』)。十分気を付けて読まないと(道から外れている内容かどうかキチンと吟味しないと)、読み手自らプライマリー・コントロールの道を外れて歩いてしまいます。これは大変危険です。
ただ、私の考えでは、「身体の使い方を極めようとすると、必ずプライマリー・コントロールという考え方に到達する」わけですから、「アレクサンダー・テクニーク」を知らなかったとしても身体の使い方を極められた人(恐らくの例: ジョルジ・シャンドール)の本には、直接プライマリー・コントロール的なことには触れられていない、ということになるのでしょう。
ピアノ演奏の目的として、ピアノ練習の質・演奏テクニックの向上、さらには、ピアノを通じて今後の人生を豊かにしたいのであれば、プライマリー・コントロールという、正しい身体の使い方の基礎中の基礎より先の話をする必要もあります(例: 『ミスタッチを恐れるな』(後ほどレビューします。))。
そして、この図の面白いところは、いきなり右側の書籍を読んでもなかなか理解できない、ということを含んでいる点です。私の考えでは、「全てのスポーツ、楽器演奏の(正しいとされる)動作の理論は、必ずプライマリー・コントロールを基本としている」ので、その基本が理解できていな状態では、応用にあたる右側の書籍を読んでも、理解しがたい状況に陥ります。もしかしたら、書籍の意図とは違う方向に解釈しかねません。
なので、例えば、『シャンドール ピアノ教本』だけを読むと理解しがたい部分がたくさん出てきますが、プライマリー・コントロールの習得方法を学べる『音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門』を読むことで、『シャンドール ピアノ教本』の理解度が深まるはずです。
図2の右下に記入した、『ミスタッチを恐れるな』は、私が出会ったピアノ書籍の中で最高峰もので、恐らくどのレベルの人でも一生役に立つ内容になっています(なので、右矢印を追加している)。しかし、この書籍も、『音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門』を読まないと、恐らくほとんど理解できないと思います。(なぜなら、『ミスタッチを恐れるな』では、当たり前のように「自分をコントロールすることをやめなさい」的な言葉がたくさん出てくるので。)
大事なのは、まず身体を動かす基礎であるプライマリー・コントロールを身に付けるため、すでに(定性的に)効果が実証されている「アレクサンダー・テクニーク」を利用し、その後、ピアノやその他楽器演奏のテクニック(難しいフレーズが弾ける、以外の音楽性も含め)を磨いていく、という流れがベストなのでは?と考えています。
では。
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