番外編12 : しなりを利用した打鍵を解説
こんにちは、リトピです。
今日まで、様々なピアノ奏法が考案されていますが、その一つに「しなりを利用した打鍵」というものがあります。これは、ピアノ奏法を科学的アプローチで解明している古屋晋一先生の書籍『ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム』のp.165にある「第6章 ピアニストの省エネ術 > ④しなりを利用する」にその詳細が書かれています。
…が、これが「わかりにくい!」と感じる人、意外に多いと思います。そのため当記事では、その「しなりを利用した打鍵」を徹底解剖!この打鍵方法の原理、やり方、メリットについてガッツリ説明していきます。
しなりを利用した打鍵とは?
まず初めに、書籍『ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム』では「しなりを利用した打鍵」をどのように説明しているかを見ていきましょう。
本書の解説まとめ1(概要)
ずばり、「しなりを利用した打鍵」とは…
- 筋力以外の力で打鍵する方法の一つ
- しなりの力 = 動作にブレーキをかけることで生まれる力
(例: 電車が急ブレーキするときに、乗っている乗客を前のめりに加速させる力) - プロは打鍵の動きにより強いブレーキかけ、しなる力を生み出し打鍵
→ それがプロの省エネ打鍵につながっている
この説明と一緒に、以下の図も本書には載っていますね。
図1. 書籍『ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム』p.167の図12 |
これを見て、大半の人々は恐らく「おぉ、ピアニストの方が使われている筋力が少ない!」「やっぱ、「脱力」が大事なんだね!」と解釈していると思います。
……が、ちょっとまったーーーー!!!
本書の解説まとめ2(詳細)
実はこの図、圧倒的に情報量が足りずに、読者にそのような誤解を与えているものになっています。しかもその誤解が「やっぱり「脱力」は正しい!」という考えを強化させるものになっています。
でも、ここで伝えているのは実際はそうではないんです。どういうことかと言うと…もうちょっと文章を詳しくじっくり読んでみるとわかります。
本書では「しなりの力 = 動作にブレーキをかけることで生まれる力」としていますが、この「しなり」の力を増すためにプロのピアニストは…
プロのピアニストはピアノ初心者に比べて、肩の筋力を強く収縮させることで上腕の動きにより強いブレーキをかけ、肘から先を加速させる「しなり」の力を増やしていることがわかりました。(中略)つまり、ピアニストは肩から指先までムチのようにしならせて打鍵することで、無駄な筋肉の仕事を「省エネ」しているわけです。(p.166)
…ということです。ポイントは【プロのピアニストはピアノ初心者に比べて、肩の筋力を強く収縮させている】ということ。で、もうちょっと読み進めると…
上腕の動きにブレーキをかける分だけ、ピアニストのほうが、初心者よりも、肩の筋肉(三角筋前部、大胸筋)の仕事は大きいということです。つまり、ピアニストはピアノ初心者に比べて、肘から先にある筋肉の仕事の量が少なく、肩の筋肉の仕事は大きいということになります。(p.167)
ということが、文章の方ではきちんと書かれています。そのため、本書の図12は、実際はこうする方が正しいのでは、と私は考えています(図2)
図2. 書籍『ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム』p.167の図12改(赤字・赤線はリトピ加筆) |
残念ながら本書は、「一般人へのわかりやすさ」を重視させたあまり、【一般的には理解しがたい、が超重要な事項】はすっ飛ばされています。それが本書の最大の欠点だ、と私は感じており、それが読者に大きな誤解を与えてしまっています。
実際、本書のこの「しなりを利用した打鍵」のもとになった論文 "熟練ピアニストの「しなやかな打鍵動作」の力学メカニズム" では、きちんと各部位の筋力(正確には筋トルクMUSIm)と「しなり」の力(正確には運動依存性トルクINTIm)の測定結果を乗せています(図3)。が、それが本書ではバッサリと抜け落ちています。あぁ、非常にモッタイナイ。。。
図3. 該当論文のFig. 3(赤字・赤線はリトピ加筆) |
ただ、プロがあえて肩の力を利用して打鍵している理由は、きちんと本書にも書かれています。
私たちの身体の筋肉というのは、胴体に近いほど太く疲れにくく、指先に近づくほど細く疲れやすい構造になっています。したがって、疲れやすい肘から先の筋肉を使わず、代わりに疲れにくい肩の筋肉を積極的に使うピアニストの打鍵動作は、まさに疲労を回避するための卓抜な省エネ術と言えるでしょう。(p.168)
本書の解説まとめ2(結論)
つまり、この本書の「しなりを利用した打鍵」パートで本当に読者に伝えたかったことは…
ということ。実は本書は「「脱力」のための本」などではなく、【打鍵時に、どのように疲れにくい部位の力を使って、どれだけ疲れやすい部位の労力を減らせるか? = 省エネ術を科学的に示した本】なんです。他のパートも同じような流れになっています。
さて、本書からこのような内容を正しく読み取れた人は、果たしてどれだけいるでしょうか?いろんなブログで本書の紹介を見ると、大半が本書を「「脱力」のための本」として紹介しているように見受けられます。非常に残念です。。。(まぁ、個人的には本書で「脱力」という言葉を全面に出してしまっているのが読者を誤解させている大きな原因だと思いますが…)
「しなり」の力の生み出し方
この本書に書かれている「しなりを利用した打鍵」の説明や図だけで、その原理、やり方、メリットがすんなりと理解できる人は、当記事を読む必要はありません。
でもそもそも、本書では「しなりの力 = 動作にブレーキをかけることで生まれる力」としていましたが、それって何よ?と思う人が多いと思います。以下ではそういった人たち向けに書いていきます。
だってさ、「ブレーキ = 動作と【逆向きに】力をかける」わけだから、「それって余計な力を使っていることになるんじゃ!?」って思いませんか。
一応本書では、例として電車が急ブレーキするときに、乗っている乗客を前のめりに加速させる力としていますが、正直私でも最初はその電車の図が意味不明でした。
っというわけで、当記事では、実際に「しなり」の力が使われている現場を取り上げ、その原理、やり方、メリットについて紹介し、それらをピアノでの「しなりを利用した打鍵」につなげていきたいと思います。
やり投げの場合
やり投げは、その名の通りやりを遠くに投げる種目ですが、これ、ただ単に投げる方向に対して腕を筋肉バカみたいに振っているわけではありません。実は投げる動作に対して、各部位でその動作にブレーキをかけ、「しなり」の力を生み出し、やりを投げているんです。
サイト 投動作の科学(速く投げるコツ),陸上競技の理論と実践~Sprint & Conditioning~によると、やり投げ時の身体各部位の速度変化は図4のようになっているようです。
図4. やり投げ時の身体各部位の速度変化(矢印や吹き出し等はリトピ加筆) |
この図4を見ると、規格化時間60%あたりまでは、肩・肘・手首の動きは、当然、投げる方向に向かって各筋肉が使われ加速していますが、それから先はというと…肩・肘・手首の順番でブレーキがかかっています。
つまり、なんとやり投げ選手は、せっかく投げる方向に加速した腕の動作を、やりを投げる【前】に、投げる方向とは【反対の方向】に力を入れて、その動作にブレーキをかけているんです。不思議でしょ?
ブレーキをかける理由: 「しなり」の力が生み出される原理
やり投げでも、ピアノの打鍵と同じように、腕の動作に対してブレーキをかけていることがわかりました。しかし、なぜわざわざ、投げる方向とは【反対の方向】に力を入れるなんて、一見無駄なようなことをしているのでしょうか?
実は、動作にブレーキをかけると、ブレーキをかけた部位よりも末端側の部位の動きが加速するんです(正確には、ブレーキをかけた部位よりも末端側にある関節周りの回転力…のようなものが増す(より正確には、それによって運動依存性トルクが生まれる))。その末端側の部位の加速した動きを、古屋先生の書籍では「しなり」と呼んでいます。イメージ的には図5みたいな感じ。
図5. 例: 肩の動作にブレーキをかけると、肘周りで「しなり」の力が生まれ、肘から先の部位がより加速する |
やり投げでは、この投げる動作に対するブレーキを肩・肘・手首の順番で行うことで、図6のように、やりを投げる【前】にやりの速度を最大限高めていた、というわけです。イメージ的にはムチの動きですかね。
図6. 各部位で動作にブレーキをかけることで、末端が加速し、やりの速度が増していく。 |
一方、動作にブレーキをかけ、「しなり」の力を生み出さなかった場合、どうなるのでしょうか?
腕の力のみでやりを加速させなければならないので、仮に「しなり」の力を生みだしたときと同じ速度で投げようとしたら図7のようになります。速度の傾きが、「しなり」の力を生み出しているときよりもはるかに大きいです
加速度で、加速度は a = F/m (F = ma; Fは力、mは質量)なので、腕の力のみでやりを速く・遠くに投げようと思ったら、相当大きな力を使わなければなりません。
図7. 腕の力のみでやりを投げようとすると、とてつもなく大きな力が必要になる。 |
これらより、実はあえて動作にブレーキをかけ、「しなり」の力を生み出した方が、かえって腕の力を使う量が少なくて済む = 省エネになる、というわけなんです。
これが、動作にブレーキをかけている理由です。スポーツも「脱力」ではない!!
ピアノの場合
では、この動きをピアノの「しなりを利用した打鍵」に応用してみましょう。ピアノでも打鍵動作にあえてブレーキをかけ、「しなり」の力を生み出した方が、かえって腕全体の力を使う量が少なくて済む = 省エネになるんです。で、その手順としては以下のような感じ(図8)。
- 重力や自分の力を用いて腕全外を打鍵方向に動作させる
- 肩の筋力(三角筋前部、大胸筋)を使って、音が鳴る【前】に(正確には、ハンマーが鍵盤アクションから飛び出される【前】に)上腕の動作にブレーキをかける
- 肘周りで「しなり」の力(正確には運動依存性トルク)が生まれ、肘から先の部位がより加速する
- 肘から先の加速した前腕・手首・指で打鍵が行われる
図8. しなりを利用した打鍵のイメージ |
ちなみに、肩の筋肉だけでなく、打鍵方向とは逆の力を生み出す上腕の筋肉(上腕二頭筋)も使って、音が鳴る【前】に(正確には、ハンマーが鍵盤アクションから飛び出される【前】に)前腕の動作にブレーキをかけ、手首・指先といったより末端の部位を加速させてもOKです。実際、(真の)重力奏法や高速オクターブ連打ではそのようなことが行われています。
まとめ
当記事では「しなりを利用した打鍵」について説明してきました。書籍『ピアニストの脳を科学する 超絶技巧のメカニズム』のまとめと欠点を述べ、実際に「しなり」の力が使われているやり投げ競技を例に「しなり」の力が生まれる原理とやり方、メリットについてご紹介しました。
当記事が、読者の「しなりを利用した打鍵」の理解を深めるものになれば幸いです。
では。
リトピさんのYoutubeのビデオから来ました!今度はブログの記事を少しづつ読ませていただいています。どこを探しても書いていない情報なのでありがたく思います!古屋先生の本、私も正直わかりにくいです笑なのでこのように解説していただけるのは非常に助かります!また他の記事も読ませていただきます!
返信削除Youtubeの解説動画の閲覧だけでなく、ブログ記事も閲覧 & コメントを残してしてくださってありがとうございます。
削除当ブログや解説動画によって、少しでも良い気付きがAtsuko様に得られていれば幸いです。何かわからないこと等ございましたら、お気軽にコメントを残していただければと思います。