理系ピアノ奏者におすすめの書籍16: 音楽家を成長させる「教える技術」

公開日: 2022年2月7日月曜日 書籍

こんにちは、リトピです。

こちらは、理系である私がおすすめする書籍をご紹介するコーナーです。 今回ご紹介する16冊目はこちら。

この書籍は、書籍『成功する音楽家の新習慣』に続き、すべての(アマチュアを含む)音楽家に絶対に読んで欲しい書籍です。特に教師の方々は本書を読んでおかないと、これからの時代、生きていけないと思った方が良いくらい、本書にはこれからの時代を生きていくうえで重要な事柄がたーーーーーーっくさん書かれています(ただし、第1部の第4章「練習」は除く←後述)。

本書のメイン・ターゲットは、実は現在「教師」、というよりも【今バリバリ演奏活動している演奏家】なんですが、そういう人たちにとって「教える技術」をがどれだけ重要で大切かを、本書で教えてくれます(ただし、第1部の第4章「練習」は除く←後述)。

もちろん、本書はそういう本業の方々だけでなく、現在生徒や独学者にも十分すぎるくらい役立つ情報がたくさんちりばめられています。教師が持つべき「教える技術」は、実は演奏家(や、それを目指す生徒や独学者)にこそ必要なものだった、ということに本書は気付かせてくれます(ただし、第1部の第4章「練習」は除く←後述←しつこいw)。

この書籍を読んで、特に目から鱗だったものはこちら。

「自立」が大きなキーワード
本書が、教える立場にある人(教師)以外にも絶対に役立つと言える理由は本書の「はじめに」に書かれているこの一文。
最終的にあなたの先生はあなた自身である (p. 017)

本書は、【如何にして生徒を自立させるか?】ということに焦点が当たっており、教師は「生徒に対してあれこれ指示を出す」のではなく【生徒自身に考えさせる】(≒生徒の考える能力を向上させる)ことの大切さを説いています。この生徒は自立すべしと言う考え方は、書籍『自分の音で奏でよう!』に通ずるものがありますね。

テクニックとは何か・音楽性とは何か、を考えさせてくれる
本書はテクニックはただあれば良いのではなく、音楽性あってのテクニックが必要だ、というのを改めて気づかせてくれます。本書ではこの2つを、
不即不離の関係 (p.113)

だと述べています。これに似た内容が書籍『ピアノ・テクニックの科学』にもありましたが、こういった考え方は近年のトレンドになっていますね。

教訓にしたい【良い教師像】がたくさんある
本書では、随所に「良い教師とはこういうものだ」というのを提示しており、その考え方が非常に秀逸。本書はそれに関する名言がたくさんあるので、ここでたくさん紹介したいのですが、その中で私のお気に入りの一節を紹介。
うまく教えられたかどうかは、あなたのやったことではなく、生徒ができるようになったことでしかわからない (p.252)

よくいますよね、「私(教師)がこんなに教えてるのに、なんでアナタ(生徒)はできないの!?」と言う教師。それ、単なるアナタ(教師)の指導力不足ですからーーーー、残念っ!!!!…あれ?前にもこんな表現使った記憶が。。。

自分で考える力を養うヒントがちりばめられている
上記で述べた【「自立」が大きなキーワード】と似ていますが、教師が持つべき「教える技術」を学ぶことは、実は【自分で考える力】を養うヒントを得ることにもつながるんです。特に、本書の第1章にあるこの一節が、特に初学者・独学者にとって自身の思考を巡らせる第一歩になると思う。
音楽をこのように探究する背後には、常に「なぜ」が問われている。 (p.028)

例えば、楽譜上で強弱記号やアクセントを見つけたとき、「なぜ、ここにその記号があるのだろうか?」と考えてみてください。その試行錯誤の積み重ねがアナタの・アナタだけの【音楽性】を作っていくことにつながります。

「脱力」や「独立」という文言を使う時代は終わった

これ、とりあえず第1部の第3章「テクニック」を読んでもらえばわかります。この章では、指導の定番であった「脱力」や「独立」という言葉が、本書にはほっとんど現れていません。むしろ、「筋肉を使え」や「連動」「束ねる」といった、定番とは対称的な表現が多い。

なのに…いや、 だ か ら こ そ 、こんなにも明確にテクニックや音楽性について説明できているんだ、と考えるべきでしょう。皆様も本書を読めば、もう「脱力」や「独立」といった【浅い考えによる適当な指導】をするの時代は終わったんだ、と感じるはずです。

で、なぜこの第1部の第3章「テクニック」の内容がこれほどまでに良いのか、その理由が本書の巻末にある「読書案内」を確認するとわかります。ここには書籍『音楽家のためのアレクサンダー・テクニーク入門』『成功する音楽家の新習慣』といった良書が並べられています。そりゃ内容が良くなるわけだっ!!

いろいろと悩みましたが、本書の良い点を5項目でまとめると上記のようになりました。ちなみに、本書にはダメ教師徒の典型例も載ってたりして面白いです。例えば、ダメ教師とは…

やり方や教材を見直すこともなく、学習順序も変えずに、自分が学んだことをただ繰り返すだけの教師 (p.110)

こういう教師、意外と多いのではないでしょうか。。。そして本書では、そういったダメ教師に対して…
良くも悪くも大昔の経験だけに頼って、教え始めてしまうことにはならないでいただきたい。(p. 005)

と、本書の冒頭で喝を入れています。

また、個人的には、第1部の第1章「音楽性とは何か」のユーモアの項(p. 038)は非常に良かった。そういう演奏ができる演奏家に、私はなりたい。

なお、第3部「教えるプロとしての音楽家」の内容は、ピアノ教室の運営、ビジネスとしての考え方が載っているので、ピアノ教室を営んでいる人たちは必読。また、習っている人は「うちの先生の教室、経営・運営大丈夫かな?」という指標作りには最適だ(ぇ。 他にも、教師から(または、自分自身で)学ぶ方法も随所にちりばめられているので、本書最後の部も気を抜かず読もう。

ちょっと蛇足的ですが、巻末の補遺も内容は細かいながらも面白い(教師にとってはタメになることしか書かれてない)ので、ぜひ目を通してほしい。
ちなみに、ここには大学の面接の話も乗っていて「予想される質問」として挙がっているのが…

15. ヨーガ、フェルデンクライス、アレクサンダー・テクニーク、その他の身体への気づきを促す方法をレッスンにとり入れますか?

というのがある。これ、ものすごく大事なことだけど、今の日本じゃまだこんな質問なんてしないだろうなぁ。。。

あと、個人的には「訳者あとがき」も最高。例えば……

演奏することと教えることは、まったくの別のこと、つまり、教えるのにはまた別の知識や技術が「付加的に」必要とされるのである。

全くもってその通り。これは私がずーーーーっと言い続けていること。自分が上手に弾けりゃ他人に正しい事柄を教えられる……と思ったら大間違いです。

また、最初の方に「特に教師の方々は本書を読んでおかないと、これからの時代、生きていけないと思った方が良い」と言いましたが、これは書籍『成功する音楽家の新習慣』が出版されたときと同様、今教師の人たちは本当に色々と覚悟しておいた方がいい。本書には、現代に必要な【良い教師像】がたくさん書かれています。つまり、本書を読んで【良い教師像】の知識を持った生徒は、あなた方教師が良い教師かどうかを【評価する】という、今までとは逆の立場になるわけです。

一方で、生徒にとってはこれからは良い時代になるでしょう。これから良い教師を探す場合、体験レッスン等を受けた際、まず先生の本棚に注目しましょう。そこに本書や書籍『成功する音楽家の新習慣』が置いてあれば、その先生は【良い教師】、もしくは【良い教師になろうとする志の高い教師】であることは間違いないとみて良いと思います。

本書の良い点についてまだまだ紹介したい内容はたくさんあるのですが、それは実際に皆様に本書を手に取って見て(読んで)いただくとして……次からは、私が本書で気になる点について紹介したいと思います。

本書最大の問題点: 第1部の第4章「練習」

先に結論から述べると、本書の第1部の第4章「練習」は読み飛ばして、代わりに書籍『挑戦するピアニスト 独学の流儀』『ミスタッチを恐れるな』『自分の音で奏でよう!』『楽譜を読むチカラ』『成功する音楽家の新習慣』といった良書で「練習」の仕方について補填すると良いです。

その理由は、本書の第1部の第4章「練習」の内容と、他の章の内容との間に(だけでなく同じ章内の内容との間にも)大きな矛盾が生じており、何がより良い練習方法なのかがハッキリとせず混乱してしまうこと。実は、本書の第1部の第4章「練習」は、主に「ミスを避ける」ために「反復練習」や「ゆっくり練習」を重要視する内容になっています。

えっ?それは昔から言われている当たり前の練習内容だって??実は本書には、「はじめに」でこういうことが書かれているんですよ。

あなたが音楽家として実行していることが、(中略)「これまでずっと言われてきたことだが、信じていいのだろうか?」(中略)といった難しい問いに向かい合ってほしい。(p. 019)

っというわけで、本書に従って「「ミスを避ける」ために「反復練習」や「ゆっくり練習」が大事だ」という "これまでずっと言われてきたこと" を "信じていいのだろうか?" という難しい問いに向かい合ってみましょう。

「反復練習」について

本書の第1部の第4章「練習」では、いたるところに「反復練習」せよと書かれているのですが、その理由のひとつには……

反復練習で安心感を得る(p. 069)

ということが挙げられています。ただし、その「反復練習」の際、以下の点に気をつける必要があって……
人間は学習能力を持っていることが特徴だ。余計な緊張、悪い姿勢、まちがった音、音の微妙なずれさえも学んでしまうのだ。(p. 072)

そのため、練習ではただ反復すればいいのではなく……
重要なのは「何回反復するか」ではなく、「何回正確に反復するか」なのである。(中略)最上の学びをするには、最初から高い「成功率」で正確に反復しなくてはならない(p. 072)

と述べている。一見、この主張はもっともな内容に感じられますが……

実は全然そうじゃないんです。実際、その次の章である第5章「演奏」では……

練習では引き返したり、改善したり、反復したりすることも多いが、こうした習慣が本番での演奏にはきわめて有害である。(p. 085)

っと全く逆のことが書かれています。……不思議ですよね?「どっちが正しいんじゃぁぁぁーー!!」っとツッコミたくなりますよね??これが、私が「第1部の第4章「練習」は読み飛ばして」と述べている理由のひとつです。

確かに、本書で述べられているように "人間は学習能力を持っていることが特徴" です。が、だからこそ、練習中の【ミス】("余計な緊張、悪い姿勢、まちがった音、音の微妙なずれ"、など)がその学習能力の向上にはとっても重要なんです。実際、この同じ章でも……

練習中のミスはある意味、贈り物である。(p. 073)

と述べられています。(いや確かにそうなんだけどさ、アンタさっき "重要なのは(中略)「何回正確に反復するか」" って言ってたよね!?と思いっきりツッコミを入れたくなるw)

そういった【ミス】がどれだけ大事かは、書籍『ミスタッチを恐れるな』でさんざん言われていること。実際、最近の運動学習理論(ピアノは「身体で覚える動作」=運動なので、この理論が当てはまる)では、【スキーマ理論】という考えが主流になっています。簡単に言うと、運動学習(=身体で覚える動作を習得するための練習)というのは…

  1. × とにかく反復練習して一つ一つの動作を覚え込ませる(脳に正しい動作内容を詰め込む)
  2. 〇 動きの制御の仕方(得られたフィードバック情報をどう扱うか)を学ぶ
だ、とされています(参考: ご存知ですか?運動学習は運動を学習することではありません)。

実際、「反復練習」をするとかえってパフォーマンスが低下することが知られています(参考: 反復練習は本当に効果的か, Fußball Training Academy)。その理由は恐らく本書に書かれているコレ。

こんなことも考えてみよう
(前略) 自動化された動作のひとつに不安を覚えると、これまで自由で何にも邪魔されずに正確であった動きが、たちまちそうではなくなります。「自分で自分の足を引っ張る」という言葉は、思う以上に問題を的確に捉えているのかもしれません。(p. 070)

「反復練習」によって安心感が得られる理由のひとつには、「反復練習」によって「自動化された動作」を獲得できるからだと思いますが、その「自動化された動作」が、かえって「自分で自分の足を引っ張る」ことにつながってしまうんです。

これは、日本初のアレクサンダー・テクニーク講師である小野ひとみ氏も指摘していて、「反復練習」によって獲得した「自動化された動作」は、ややもすると "「習慣の奴隷」" となり、それが身体の気づきを鈍らせ、動作を悪くさせてしまう(= 「自分で自分の足を引っ張る」)ことになるんです(参考: アレクサンダー・テクニークは自己再生教育法である, 特集★音楽する身体)。

こういったことを総合すると、本書をもじれば…

最上の学びをするには、最初から――たくさん【ミス】をして試行錯誤を重ね、学習能力を向上させていか――なくてはならない

と言えるのでは、と私は思います。

「ゆっくり練習」について

次に、本書の第1部の第4章「練習」では「ゆっくり練習」の良い点としてこんなことを挙げています。
最初からゆっくりと正しく練習を始めれば、本当にミスなしの練習ができるものです。(p. 072)

練習中に【ミス】することの重要性は上記で述べていますが……そもそもここで言っている「ミスなしの練習」とはなんだろうか。

「ゆっくりと正しく練習を始めれば」、確かに楽譜上に書かれている音符を1度も叩き間違えることなく順番に音を出すことができます。が、そういった単なる音の羅列に過ぎない行為を「ミスなしの練習」と呼んでいるのであれば、それは本書で書かれている【音楽性】をすべて否定することになるのでは?と感じています。

実際、「ゆっくり練習」の弊害は本書の次の部「教える技術」で述べられている(なんでだよっ!)。ある教師の指導内容について……

この教師は、テンポを「正確に」するのではなく、「遅く」することで、生徒はたくさんの16分音符が演奏できるようになると思ったに違いない。しかし、まず均一な音符を優先させたかったのであれば、音符の数を減らして演奏させた方が、リズムも正確になっただろう。実際にこの教師はテンポを遅くしたのだが、あまりにも中途半端で、タイミングを逸していた。(p. 127)

「ゆっくり練習」による「ミスなしの練習」をしたところで、その練習内容が克服したい問題の解決にならなければ、その練習に意味はないんですよ。実際、本書ではこのことについて以下のような問題提起をしている(だからなぜ!?)
逆の順序を考える
ゆっくりした身振りから始めて速くしていくという方法が、いつも良いと言えるだろうか。(p. 113)

これは、私も記事「「ゆっくり練習」は練習にならない ~弾き方編~」などで同じようなことを述べています。

ちなみに、本書では上記の話からさらに続けて、この「ゆっくり練習」を他の書籍を紹介しつつ、このように述べています。

『Practicing for Artistic Success(成功のための練習法)』の著者であるバートン・カプランは、このような練習を「有益な退屈」と言っています。どのように名づけようとも、大きな収穫物を得るためには、一定期間の退屈な時間を耐えなくてはならないのです(p. 072)。

さて、『Practicing for Artistic Success(成功のための練習法)』では、どのようなことが述べられているのでしょうか?実はこんなことが書かれています。
If you find that you are paying attention to each note separately instead of connecting them into a large, musically meaningful pattern, you are playing too slowly.
(by "Practicing for Artistic Success")

簡単に言えば、この著者のバートン・カプラン氏は、「ゆっくり練習」の際「個々の音符に注意が向いていたら、演奏が遅すぎる」と述べています。皆さん考えてませんか、「「ゆっくり練習」は演奏するテンポが遅ければ遅いほど良い」と。。。そういったよくある「ゆっくり練習」では個々の音符に注意が向いてしまう(フレーズ感が無くなる)というデメリットがあることを、私も記事「「ゆっくり練習」は練習にならない ~フレーズ練習編~」で指摘しています。

また、本書では「ゆっくり練習」をするタイミングについて、次の章ではこのような良いことも述べられています(…っという感じで、第4章があるせいで本書の主張がブレまくっているように見えるのも、第4章を読むことによって起こる問題)

練習モードから本番モードへ移行する第一歩(中略)。ある部分の演奏はやさしいが他の部分は難しいというときには、遅めのテンポで練習すると、部分間や全体の流れの割合が心理的にも音楽的にもつかむことができ、本番ですべての音符を正確に演奏することができる。(p. 086)

"練習モードから本番モードへ移行する" ということは、練習も後半戦。こういった練習後期では「ゆっくり練習」が効果的である、という点については、私も記事「「ゆっくり練習」の良い点?」で紹介しています。

このように、「反復練習」だけでなく「ゆっくり練習」についても、本書の第1部の第4章「練習」だけが大きく矛盾したことを述べており、読者を混沌の渦に巻き込んでいるように感じます。そのため、第1部の第4章「練習」は読み飛ばすべきだ、と私は考えております。

ちなみに、この『Practicing for Artistic Success(成功のための練習法)』では、「反復練習」についても書かれています。この書籍でも「反復練習」は良いとしていますが、まず初めにしなければならない、と述べているのが……

1. Repeat to observe what is incorrect.
(by "Practicing for Artistic Success")

このバートン氏の主張には納得。本書では "最初から高い「成功率」で正確に反復しなくてはならない" とあるが、実際に大事なのは、バートン氏の主張の言うように、反復によって(というより、練習を重ねて)【何が正しくないのか】をまず初めに探ることなのでしょう。

本書の巻末「読書案内」もチェック!

さて、第1部の第4章「練習」について酷評(?)してみましたが、その章の「読書案内」(本書の巻末では、その章の参考文献として「読書案内」が載っています)では「反復練習」や「ゆっくり練習」をどのように評価しているのでしょうか?ちょっと確認してみましょう。

私がネット上でざっと確認した限りでは、この章で20冊挙がっている「読書案内」のうち、最初の5冊に「反復練習」や「ゆっくり練習」についての内容が見られました。以下で、それら書籍ではどんなことが述べられているのか、簡単に紹介しておきます。

1. Cory, D (2009). The Talent Code: Greatness Isn't Born, It's Grown. Here's How. New York: Random House. (『天才はディープ・プラクティスと1万時間の法則でつくられる:ミエリン増強で驚異の成長率』ダニエル・コイル著、清水由貴子約、パンローリング、2019年)

この書籍では、ゆっくりした動作をすることで……

going slow allows you to attend more closely to errors

と書かれています。つまり、ゆっくりした動作をする目的は「エラーに注意を向けること」だと述べています。決して、本書にあるように「エラーをしなくなる(≒避ける)こと」(= "ミスのない練習")がゆっくりした動作をする目的ではないんです。この区別は非常に大事。

皆さん、もしかして「ゆっくり練習」をこのように考えていませんか?

舗装されてない道を「ゆっくり」歩くことで……安全に(≒「こける」というミスをせずに)渡れる。

と。でも、これからはこのように考えを改めてください。

舗装されてない道を「ゆっくり」歩くことで……【躓きそうな石】(≒「こける」というミスの元)に注意を向けられる。

と。何度も何度も言っていますが、【ミス】は自身の成長にとっても大切なものです。【ミスは】避けるのではなく、ありとあらゆる方法で【ミス】に対して果敢に・積極的に向き合ってください。それがかえって成長への近道となります。

2. Duke, R. A., Simmons, A. L., & Davis, C. (2009). It's Not How Much; It's How. Journal of Research in Music Education 56 (4), 310-321.

この論文では確かに「反復練習」や「ゆっくり練習」(テンポを変えた練習)が大事だと言っていますが、非常に重要なポイントはこうだ、と述べています。

This is an extremely important point - that the effective handling of error correction led to a higher proportion of correct, complete performance trials during practice.

つまり、練習中のパフォーマンス向上には「如何にしてエラーをなくしていくか」という取り組みが大きなポイントになっている、と。【ミス】と向き合うことが大事だということは、ここでも他の書籍紹介でも他の記事でもさんざん言っているので、ここでは割愛します。

3. Ericsson, K. A., Krampe, R. Th., & Tesch-Romer, C. (1993). The Role of Deliberate Practice in the Acquisition of Expert Performance. Psychological Review 100 (3), 379, 384.

この論文では「反復練習」についてこのように述べています。

with mere repeti-tion, improvement of performance was often arrested at less than maximal levels, and further improvement required effort-ful reorganization of the skill.

つまり、単なる繰り返しではパフォーマンスの改善は最大まで行われず、さらに改善させるにはスキルの再編成に労力を費やす必要がある、と。この主張は、上記で説明した【スキーマ理論】に似ていますね。

4. Gallwey, T. (1974). The Inner Game of Tennis. New York: Random House. (『新インナーゲーム』W・ティモシー・ガルウェイ著、後藤新弥訳・構成、日刊スポーツ出版社、2000年)

この書籍でも1冊目の書籍同様、ゆっくりした動作をする目的について以下のように述べています。

One is to take each of your strokes in slow motion. Each can be performed as an exercise, in which all attention is placed on the feel of the moving parts of the body.

動作をゆっくりすることで「身体の可動部分の感覚にすべての注意が向けられる」とあります。ここには、動作をゆっくりすることで「ミスが無くなる」とは一切書かれていません。やはり、本書に書かれていることと目的が違いますね。。。

なお、ゆっくり動作すると(かつ、動作を小さくすると)身体の感覚が鋭くなる、というのはフェルデンクライスの考え方です(参考: ゆっくり、小さく、やってみる, だいすき!BALI, MY LIFE)。

5. Green, B. (2003). The Mastery of Music. Ten Pathways to True Artistry. New York: Broadway Books.

この「読書案内」の最後の紹介ですが、この書籍だけ本書の「ゆっくり練習」の主張に近いことが書かれています。例えばこの一節。

Start playing slow enough so that you can get the melodic line right, and you'll be practicing the correct melody ― at an altered tempo.

本書同様、ゆっくり弾くと「正しいメロディー("the correct melody")」で演奏できる、とありますが、ここで言う「正しい("correct")」とはどういう意味だろうか。果たして、楽譜通りの音符をただ並べただけの音の羅列を「正しいメロディー("the correct melody")」と呼んでいいのだろうか。。。

また、この書籍ではこんな暴論も述べられている。

A lot of times when people play fast, they think it is the movement between notes that really makes the difference, but it's not, it's arriving and being at the right place that really creates accuracy in playing a fast passage.

前半は「速く演奏すると音符間の動きが変わると言いますが、そうではありません」と書かれていますが、実際は速く演奏すると動きが変わります。高速オクターブ連打はその良い例(参考: 記事「高速オクターブ連打を徹底解剖!」)。

また、後者では「速いパッセージを演奏する際の正確さを実際に生み出すのは、正しい場所に到着していること」とも書かれていますが、これも実際はそんなことありません。例えば同音のオクターブ連打。同じ音を弾くので、2打鍵目以降はすでに「正しい場所に到着」していますが、ただそれだけで速く正確に弾けますか?……えぇ、弾けませんよね。なので、実際はこう考えるべき。

「速いパッセージを演奏する際の正確さを実際に生み出すのは、正しい場所に【移動する】こと」

だ、と。演奏するパッセージが速くなればなるほど、音符間の時間が短くなるので、その分移動も速くしなければなりません。つまり、「ゆっくり弾くとき」と「速く弾くとき」では弾き方そのものが違うんです(参考: 記事「「ゆっくり練習」は練習にならない ~弾き方編~」)。そのため、速く演奏したければ、速く演奏するための「音符間の動き」を別途考える必要が出てきます。

第1部の第4章「練習」の問題の総括

このように「読書案内」まで調べてみると、正直、なぜ本書は、昔から続く「ミスを避ける」という目的である「反復練習」や「ゆっくり練習」を推奨しているのかが全く分かりません。

恐らく、博識な著者たち(彼らは演奏家で、その後教育学や心理学を学んだ)でさえ、「音楽の伝統」には(無意識に)抗えない部分があるのでは?つまり、"これまでずっと言われてきたこと" を信じ過ぎたせいで疑うこともせず、いまだに実情に合わないままになっているのでは?と感じました。

っというわけで、本書の第1部の第4章「練習」の内容は読み飛ばし、代わりに、上記で述べた別の書籍で「練習」の仕方の内容を補填すると良いと感じます。

ただ、ウェブ上で「読書案内」のすべてを確認することができなかったので、上記で述べた内容はいわゆる「切り取り」的な理解によるものです。そのため、私の中で大きな誤解があるかもしれない、という懸念はあります。

しかし、【運動学習理論】や【ボディワーク】の知識を駆使すると、本書に書かれている「反復練習」や「ゆっくり練習」には、せっかく良い「読書案内」を提示している(「反復練習」や「ゆっくり練習」を紹介している「読書案内」の5冊中4冊は、本書には書かれていないまともな事が述べられている)にもかかわらず、昔から言われている<伝統>(……という名の陳腐な情報)によくありがちな誤りを抱えたままになっているような気がします。

本書はここだけ、本当にここだけが非常にモッタイナイ。

とはいえ、本書は他の章の内容はそれを十分補えるほど素晴らしいので、音楽に携わるすべての方々に読んで欲しい書籍であることには変わりないです!!この書籍は、音大の必須科目の教科書にしても良いくらい(巻末の補遺には、本書を教科書にしたシラバスの例が乗っているw)

では。

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2 件のコメント :

  1. リトピさん、はじめまして。
    かれこれ2015〜16年辺りからリトピさんの活動を知っていまして、今も時々ツイートや記事などを拝見しております。
    私にとって一番信頼している演奏理論家です。
    これからも応援しております。

    今回のテーマが「教える技術」ということで、とあるピアノの書籍を思い出しまして、恐縮ながらコメントさせていただきます。

    その書籍は
    ・あたまで弾くピアノ―心を表現する手段 (ムジカノーヴァ叢書 7) / 山岸麗子 著(1986年)
    です。

    この書籍はピアノ学習者というよりはピアノ教師向けに書かれたものであり、テクニック重視の(当時の)従来的なピアノレッスンの在り方に「演奏は頭の使い方が大事」を第一の主張として切り込んでいく内容です。

    私は数年前はこの本が好きだったのですが、再読してみたら以前に比べてすんなりと受け入れられない部分が出てきました。
    著者は頭を使うことというメインの主張意外に「タッチ」「弛緩」「重力」に関する主張も散りばめています。
    私自身、まず頭を使うことが大事なのは同意していますが、上のキーワードに関しては細かいところに所々ツッコミどころがあるかもしれないのです。

    「あるかもしれない」というふうに確証が持てないのは、
    (ピアノに関する書籍は)同じ専門用語であっても本来の意味ではなく著者の独自の意味で語られてる場合があり、言葉通りに受け止めたら全く違う意味になる可能性があるからです。
    また、私自身リトピさんのように日々理論の精査をしておらず自分ではツッコめないというのもあります。
    ゆえにこの場で私の口からそれぞれのワードに関してこの著者の主張を書くことはできません。(申し訳ございません)

    またタッチと弛緩に関してはライマー・ギーゼキング著の「現代ピアノ演奏法」を元にしているようでして、参考資料(?)にはなると思います。
    私は同時期に一度読みましたが内容があまり理解できませんでした。

    リトピさんとは対極にあるポエム寄りの内容ではありますが、本当に、可能であればでよろしいので、いつの日かこれらの書籍の内容をリトピさんがジャッジしてくださればと願っております。

    この「あたまで弾くピアノ」はピアノ教師が生徒や他の教師に薦めていらっしゃるレベル(何度か教師のブログやツイートにて拝見)のものですので、内容が曲解されて広まってしまったらと危惧しております。

    初めてのコメントで長文になってしまい大変失礼致しました。
    どうか、何卒よろしくお願い申し上げます。

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    1. ツイートや記事の閲覧 & コメントありがとうございます!
      そして、いろいろお褒めの言葉を下さりありがとうございます。

      興味深い書籍2冊のご紹介、ありがとうございます。
      私がピアノ奏法に興味を持ち始めたのが2000年ごろからなので、それら書籍については全く存じておりませんでした。
      時間があるときに読ませていただければと思います。2000年以前はピアノの科学的な奏法研究が盛んではなかったと思うので、当時の人たちがどう考えながらピアノの奏法を解析していったかというのはとても気になります。

      > 言葉通りに受け止めたら全く違う意味になる可能性がある
      これはおっしゃる通りで、本来ならば【言葉通りに受け止めても違う意味にならない】ように配慮するべきなのではと思います。
      まぁ私も、記事は書いていても書籍は出していないので、偉そうなことは言えないですが…… ^^;


      いろいろとご丁寧にコメントしてくださりありがとうございました。

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