特集2: プロは本当に「脱力」や指の「独立」をしているのか
こんにちは、リトピです。
皆さんは、プロの演奏を【見て】、以下のことを感じることはありませんか。
- 軽やかな演奏 → 力を抜いている → 「脱力」している!
- 音が均一で粒がそろっている → 各指の力が均一かつバラバラに動いている → 指が「独立」している!
人間の感覚は「ずさん」である
2つの線の長さ、下の方が長い?
早速ですが、以下の図1を【見て】ください。
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図1. ミュラー・リヤー錯視 |
明確に違うと言える【知識】がある
皆さんはもうご存知かと思いますが…あの図1は、有名な目の錯覚の絵の1つです。本当は2本の線の長さは同じであるという【知識】を持っているから、「下の方が長い!」という答えは明確に違うと言え、「下の方が長い【ように見える】だけ」と言えるんですよね。
これが目の錯覚であり、人間の感覚が「ずさん」である一つの良い例です(ここでは視覚が「ずさん」である、という例)。でもなぜ、どう【見て】も下の方が長いと感じるのに、その2本の線の長さは「下の方が長い【ように見える】だけ」と我々は理解出来るのでしょうか。
その【知識】は【内部まで調べる】から得られる
図1の2本の線の長さは、「下の方が長い【ように見える】だけ」で本当は同じである、と明確に言える【知識】を持つために、実際に2つの図形を重ねてみたり、それぞれの長さを測ったりと、皆さんは視覚だけに頼らず、【内部まで調べる】ことを行っていたはずです。その結果から得られた事実が【知識】となり、その【知識】のおかげで、「【見て】た感覚と、実際の結果は違う」という判断できるわけです。
目の錯覚が「脱力」や指の「独立」と誤認させる
これは、プロの演奏を【見た】ときも同様です。「プロは「脱力」や指の「独立」をしている!」と思ったとしても、本当は「「脱力」や指の「独立」をしている【ように見える】だけ」かもしれません。これが本当かどうかを判断するための【知識】を得るためには、実際に【内部まで調べる】ことをしてみないと、本当にプロが「脱力」や指の「独立」をしているのか、もしくは違うのかどうかがわかりません。
つまり、自信をもって「プロは「脱力」や指の「独立」している!」と断言する人は…
- 単に【知識】がなく目の錯覚に騙され、見た目通りに信じ込んでいる人
- キチンと【内部まで調べる】ことをして得た【知識】を持って判断した人
私が【内部まで調べる】ことをした結果、プロの演奏を【見た】ときに感じるものは単なる目の錯覚で、本当は「「脱力」や指の「独立」をしている【ように見える】だけ」だとわかりました。理由は以下の通り。
- プロは「脱力」している【ように見える】だけ
- そもそも、人間は「脱力」しろ!という命令を、脳から筋肉へは出せない
- 腕は、重力に反して支える必要がある
- (無駄と感じる)力みは「適力」で取り除く
- ゆっくりした打鍵は「上腕二頭筋の伸張性収縮」を利用
- 高速オクターブ打鍵は「肘と手首の運動依存性トルク」を利用
- プロは指の「独立」をしている【ように見える】だけ
これらは身体の大きさも考えも違う人それぞれの意見・感覚ではなく、(少なくとも現時点では)れっきとした事実です。恐らく、この事実はほとんど覆ることなく、キチンと【内部まで調べる】と誰もが同じ結果にたどり着くはずだと推測しています。
どういう【目標】を立てるべきか
今まで、「脱力」や指の「独立」を【目標】に練習に励んできたと思いますが、それは目の錯覚などによる、人間の「ずさんな感覚意識」が作り出した幻想だった、ということがこれでわかったと思います。では、これからはどういう【目標】を立てればよいのでしょうか。
最初に行うべきことは、【自分の感覚】(視覚・聴覚・触覚など)は「まったく利用しないこと」です。何にも鍛えられていない「ずさんな」感覚は、利用してはいけません。最初からにそんなのを利用したら、今回のように「脱力」や指の「独立」といった間違った結果が得られるに決まってます。後々、自分の感覚を意識的に鍛え、本当に正しい(事実との差異がほとんどない)と信じられるものになったときに始めて、正しい【自分の感覚】を信じるのがベストでしょう。
×「脱力」 ○腕を「支える」
軽やかな演奏を行えるのは、腕の「支え」があるからです。まずは、腕を「支える」ことを【目標】にしましょう(書籍『ピアノを弾く手』を参照)。
ただ、それで得られる「楽だ」という状態を、「脱力」と誤認しないようにお気を付けください。(重力に負けないように)腕を支えるために力を使っているので、「脱力」という言葉は、ピアノにおいて全然ふさわしい言葉ではないです。(詳細は、記事「番外編1: なぜ人は「脱力」できたと思うのか」を参照)
×指の「独立」 ○指の「調和」
各指がバラバラに動いている【ように見える】動きをするためには、全くバラバラになっていない指の神経や筋肉の「調和」を【目標】にすることが大変大事です。もし指の「独立」を目指そうものなら、長さも太さも構造も違う各指を均一にするために「鍛える」という誤った練習を行ってしまう可能性が高いので、絶対にやめましょう。(詳細は、記事「ピアノ・コラム1: 指は「独立」ではなく「調和」させるべし」を参照)
音が均一で粒がそろっている演奏をするには、各指の力が均一かつバラバラに動ける必要はなく(そもそもそんな状態は人間には不可能)、身体の「コーディネート」をうまく利用すればすぐに解決します。(詳細は、記事「お悩み相談室1: 薬指、小指が弱くて弾きにくいのですが…」を参照)
まとめ
以下、今回の要約と教訓です。
- 「脱力」や指の「独立」は人間の「ずさんな感覚意識」によって作られた幻想
- まず信じるのは感覚ではなく事実(でも今後信じれるように感覚を意識的に鍛える努力はしましょう)
- ダメな【目標】は、ダメな練習課題を作り、最終的に手や腕をダメにしてしまう
では。
P.S.1
ちなみに、図1の2本の長さが違うように見えない人種もいるそうです。これは、目自体が錯覚を起こすのではなく、目から得た情報を処理する部分が(今までの経験から導き出した答えで)錯覚を起こす、という考えの心理学の分野だそうです。
P.S.2
なお、人間の感覚が「ずさん」なのは何も視覚だけではありません。全ての感覚についても「ずさん」です。
- 寝るときに時計の針の音が気になるときがありますが、普段、何かしているときではどうでしょう?
- 夏に井戸の水を触ったとき、冬に井戸の水を触ったとき、水の温度はどう感じますか?
- プリンだけを食べたときはプリンの味ですが、プリンと醤油を同時に食べたときの味は?
- 人の部屋の匂い(臭い?)には敏感ですが、自分の部屋の匂い(臭い?)はどうでしょう?
P.S.3
ちなみに、このように「人はどのような認知や判断をしているか?」の考え方については、人間行動学の考えを基にしています。WISDOMの記事「行動経済学とは? ~理性と感情のダンス~」によれば、
脳内には判断・決定に関する2つのモードが存在する。前者は直感・感情に関するモードであり、後者は思考モードである。
システム1は、素早く、労力を必要とせず、無意識のうちに作動し、止めるのは難しいという性質を持つ。これに対してシステム2は、時間がかかり、努力やエネルギーを必要とし、意識しなければできない。「感じる」のは簡単だが「考える」のは難しいのだ。人間の判断や意思決定は、システム1とシステム2の共同作業でなされ、これを「理性と感情のダンス」と表現することもある。とのことのようです。つまり今回は、システム1の「直感」で得た判断を修正すべくシステム2の「思考」を利用したわけです。ただ、これはよほど意識しなければできないものだと思います。なぜなら、自分の感覚(視覚に限らず、すべての感覚)がどんな状況でも「ずさん」であることを、まず認める必要があるのですから。。。
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