番外編4: 速い動作は「ゆっくり」練習できない

公開日: 2018年2月19日月曜日 ピアノ ゆっくり弾く 重力奏法

こんにちは、リトピです。

テンポの速い曲を練習するとき、「まずはゆっくりから…」と考える人がほとんどだと思います。このとき、こういった言葉を耳にすることもあるでしょう。

「ゆっくり弾けなければ、速く弾くことはできない」
「ゆっくり練習するときは、【速い動作】をゆっくりやるんだ」

「おぉ、なるほど!」、と思いたくなるアドバイスですが…うーん、何かがおかしい。えっ? 何もおかしくないって? …っというわけで、こういうアドバイスに何も違和感を覚えない人にこそ、今回の記事に目を通していただきたい。

【速い動作】ってどういう動作?

さて、テンポの速い曲を弾きこなすためには、【速い動作】を身に付ける必要がありますが…【速い動作】とはいったいどういう動作なのでしょうか?

今回は、以下の論文を読み解きながら、解説していきます。

古屋晋一ら, "熟練ピアニストによるピアノの打鍵テンポと音量の調節に関わる運動制御," バイオメカニズム学会誌 Vol. 30, No. 3 (2006)

実際の【速い動作】は、演奏する音型・フレーズごとに異なります。この論文では、プロが「スタッカートのオクターブ連打」を弾く際に、速度が遅いとき(最低テンポ: 1秒間に1回打鍵)と速いとき(最大テンポ: 1秒間に6回打鍵)で弾き方がどう変わるか、を調べた結果をまとめています(さらには、音量が小さいときと大きいときも同時に調べてまとめていますが、今回はその項目を割愛)。

この実験では、腕の各関節の角度や角速度、各筋肉の利用状況を測定しています。ここですべてを一度に見ようとするとごちゃごちゃしてしまうので、今回の記事では「上腕二頭筋」(肘を曲げる筋肉)と「上腕三頭筋」(肘を伸ばす筋肉)の2つの筋肉の利用状況を見てみます(図1)。

図1. 今回確認する部位

では早速、まずは「スタッカートのオクターブ連打」をゆっくり弾いたとき、プロはどういう弾き方をしているのか見てみましょう。

ゆっくり打鍵する場合

この研究結果によると、プロは「スタッカートのオクターブ連打」をゆっくり(1 Hzの速度 = 1秒間に1回)打鍵する際、「上腕二頭筋」と「上腕三頭筋」の2つの筋肉はほぼ使用せず、【重力を利用】して打鍵しています(図2)。いわゆる【重力奏法】というヤツですね(腕の重さを指や鍵盤に載せることではない、という点に注意。詳細は、記事「番外編4: 重力奏法を徹底解剖!」を参照)。

力を極力使わずに(「脱力」して)打鍵するのが良い、というのは恐らくここから来ているのでしょう。

図2. プロがゆっくり打鍵した場合の力の使い方

細かく説明するとこんな感じ(図4)。

  1. 上腕二頭筋による支えの力を弱める(弛める、ではない点に注意)
  2. 重力により腕が落下(このときの初速はゼロ*)
  3. 打鍵
  4. 上腕二頭筋の力を使って腕を元の位置に戻す
図3. プロがゆっくり打鍵した場合のイメージ
ゆっくり打鍵gif

ここで、ゆっくり練習をすると…

でも、このとき、こういう風に考える人がいるようです。。。

「練習でこの動作を少しずつ速くしていけば、いつか速く弾けるようになる!」

恐らく、この考え方が「ゆっくり練習」の基本なのでしょう。ゆっくり弾くとこんなメリットがある、というのを聞いたことはないですか?

  • ゆっくり弾くことで、奏法を確認できる。
  • ゆっくりな動作を覚え込ませることで、ミスタッチが少なくなる。
  • 雑な練習にならなくて済む。丁寧な練習が可能。

つまり、「ゆっくり練習」における「ゆっくり弾く動作」は、速く弾くための準備だ、と考えている人が多いみたいです。図にするとこんな感じかな(図4)。

図4. 図2のプロのゆっくりした打鍵の動作を段々速くすれば、いつかは速く弾けるようになる……?
ゆっくり打鍵gifを早回しすると、速く打鍵する動作に…??

さて……実際はどうなのでしょうか? 次は、プロが「スタッカートのオクターブ連打」を速く弾いたとき、どういう弾き方をしているのか、見てみましょう。

速く打鍵する場合

この研究結果によると、プロは「スタッカートのオクターブ連打」を速く(6 Hzの速度 = 1秒間に6回)打鍵する際、「上腕二頭筋」と「上腕三頭筋」の2つの筋肉を交互に収縮させ、【自分の力を利用】して打鍵しています(図5)。

図5. プロが速く打鍵した場合の力の使い方

……あ、あれ?? おかしいな…プロなのにめっちゃ力使ってる。。。うーん、プロの「脱力」もまだまだ未熟なのか。。。

なーんて、私のブログ記事をご覧になっている人は、もうそんなバカなことを言わないですよね。ここは重要なので、もう一度説明しますが、プロは、「スタッカートのオクターブ連打」を速く弾くとき、巧みに【自分の力を利用】して、打鍵速度および単位時間当たりの連続打鍵回数を増やしています。

最近、「脱力」を「省エネ」と考えるようになってきているようですが、だからといって「力を使わないことが良い」という考え方は間違いです。ここでは【必要なときに必要なだけ力が使える】ことが大事。必要なときに必要な力が使われていなければ、それは「脱力」ではなく【エネルギー不足】です。

そのため、ここで使われている力は「無駄」ではない。つまり、考えるべきは「必要な動作に使われない無駄な力はどこか?」ではなく【必要な動作をするための必要な力はどこか?】です。

細かく説明するとこんな感じ(図6)。

  1. 上腕三頭筋を収縮させ、腕に打鍵の勢いをつけさせる
    (= 初速を付けて素早く打鍵する準備)
  2. このときの腕の打鍵の勢いは、重力を利用しているわけではない
    (= 重力奏法ではない)
  3. 打鍵。このとき、上腕二頭筋を収縮させ、腕の勢いにブレーキをかける
    (= 指先への衝撃を減らすため)
  4. 上腕二頭筋の力をふんだんに使って腕を素早く元の位置に戻す
    (= 次に素早く打鍵をする準備)
図6. プロが速く打鍵した場合のイメージ
速く打鍵gif(通常再生…追い付いていない?)

ここで、ゆっくり練習をすると…vol.2

ここまでの内容を簡単にまとめると…【ゆっくり弾くときと、速く弾くときとでは、弾き方そのものが違う】ということ。ゆっくり弾くときは「重力を利用」し、速く弾くときは、「自分の力を利用」する、というわけです(図7)。

図7. プロが「スタッカートのオクターブ連打」をゆっくり・速く打鍵した場合の力の使い方の違い
ゆっくり打鍵gif(通常再生) & 速く打鍵gif(スロー再生)

これが正しいとすると…上記で挙げた、ゆっくり弾くとこんなメリットがある…というのは嘘だということがわかります。「ゆっくり打鍵」と「速く打鍵」でそもそもの弾き方が異なるんだから、「ゆっくり弾けなければ、速く弾くことはできない」というのもおかしい、というのがわかりますね。実際は【速く弾く動作を知らなければ(練習しなければ)、速く弾くことはできない】というのが正解。

  • ゆっくり弾くことで、奏法を確認できる。
    → 確認したところで、速く弾くためにはならない
  • ゆっくりな動作を覚え込ませることで、ミスタッチが少なくなる。
    → 覚え込ませたところで、速く弾くためにはならない
  • 雑な練習にならなくて済む。丁寧な練習が可能。
    → 丁寧に練習したところで、速く弾くためにはならない

よし、【速い動作】をゆっくりやるんだな。…でもどうやって?

さて、ここでもう一つの練習方法として言われている「ゆっくり練習するときは、【速い動作】をゆっくりやるんだ」について言及します。

上記の説明で、どうすれば「スタッカートのオクターブ連打」を速く打鍵できるか、というのはわかりましたね。ポイントは【自分の力を利用】して打鍵です。では、その動作をゆっくりやってみましょう。えっと、確か、最初は上腕三頭筋を強く収縮させて腕に打鍵の勢いを付けさせて……

……………………

…………

……

はい、できるわけないですよね。ここで「できた!」と言っている人は……もう一度、自分がどんな力を使って打鍵したか確認してください。

速く打鍵する要領で「ゆっくり打鍵」するために、上腕三頭筋にゆっくり力を入れようとしても…先に【重力】によって、腕は下がるため、それでは速く打鍵する要領のゆっくりした打鍵をした、とは言えません(図8上)。

もし、速く打鍵する要領で「自分の力を利用」して打鍵しながら、腕の移動を「ゆっくり」にさせるためには…上腕二頭筋の力を無理やり用いて、重力や上腕三頭筋の力による腕の勢いを殺しながら、ゆっくり打鍵させるしかありません(図8下)。。。これも、速く打鍵する要領のゆっくりした打鍵をした、とは言えませんよね。

図8. 速く打鍵するためのポイントである「自分の力を利用」して無理やり「ゆっくり練習」しようとすると…どう考えてもどこかで破綻する。

まとめ

練習では「速く弾く練習」を

実は、「速い動作」をスロー再生したかのように、実際に「ゆっくり練習」することは不可能なんです。なぜなら…そもそも、「速く打鍵」する動作は、打鍵を速くするために行っている動作だからです。つまり、速く弾けるようにしたければ、「速く打鍵」する動作を会得するために、「速く弾く練習」をする必要があります(例: 記事「「ゆっくり弾くこと」の罠4: 「速く弾く練習」の具体例」)。

…とはいえ、いきなりテンポを速くしたまますべての音符を演奏するのは不可能です。この場合は「テンポを遅くする」のではなく、【分割】が練習のカギとなります。「スタッカートのオクターブ連打」の場合、難しいのはテンポの速さよりも「連打数」です。そのため、練習の際は「テンポを遅くする」のではなく、楽譜を【分割】し、一度に演奏する【連打の数を減らす】と良いでしょう。具体的にはこんな感じ(図9, 10)。

図9. テンポを極端に遅くするよりも、連打の打数を減らして練習する方が、弾き方が変わらないため、断然効率が良い。
速く打鍵gif例: 連続オクターブ打鍵を2打鍵ずつに【分割】して練習
図10. オクターブ連打の【分割】例: リスト作曲 ハンガリー狂詩曲 第6番(抜粋)。この曲を、単にテンポを落として「ゆっくり練習」しても、【速いオクターブ連打】の練習にはならない。

このようにテンポを落とさず【分割】して練習すれば、すべての音符が演奏できなくても、会得したい「速く打鍵」の動作の練習をすることが可能です。

速く弾けないときには「単なる練習不足、ただ「ゆっくり練習」が足りないせいなんだ!」と考える人がたくさんだと思いますが、もしかしたら、速く弾けない原因は、その練習方法そのものである「ゆっくり練習」にあるかもしれません。たくさん練習しているのに速く弾けないな…と思ったら、まずはアナタの行っている(先生が言っていた、本に書かれていた)練習方法自体を疑ってみると良い結果につながるでしょう。

では。

P.S.
*) たまに、「重力奏法 = 脱力奏法」と定義して、テンポの速い曲でも「重力奏法 = 脱力奏法」で楽々弾こう!…という主旨の内容がありますが…

実は…テンポの速い曲(速い打鍵をしなければならない曲)では、残念ながら「重力」を利用して打鍵なんて悠長なことは言ってられません。重力を利用した打鍵(= 重力奏法)では、腕の落下時の初速が【ゼロ】です。だから「ゆっくり打鍵」のときは、そうやって重力を活用して打鍵できますが、「速く打鍵」する場合は、腕の落下時の初速が【ゼロ】だと、打鍵が間に合わなくなります(だから、当記事の内容のように、プロは上腕三頭筋を用いて【自分の力を利用】して打鍵している)。

そのため、テンポの速い曲でも「重力奏法 = 脱力奏法」で楽々弾こう!などと主張している人たちは、考え方が根本的に間違っている、ということがこの論文からわかります。速い動作ができるのは「無駄な力を抜いているから」ではなく【適切な力が適切に使われているから】です。この点、はき違えないようにお気を付けください。

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2 件のコメント :

  1. ゆっくり弾く弊害をここまで読ませて頂きました。今まで「ゆっくり弾けないのに速く弾けるわけが無い。」と、方々で言われるこの言葉を信じてやってきた自分には青天の霹靂でした。
    最初こそ、そんなわけないだろ…なんて鼻で笑うような気持ちで(すみません)読んでましたが、納得出来る節が多々あり、考えを改めざるを得ませんでした。

    早速、今日の練習で活かしてみたところ、いつもより集中して取り組めました。それに、今まで弾ける気がしなかった速いフレーズの上達度が明らかに上がって驚きです。
    それにもまして、ゆっくり弾く練習よりもずっと楽しめるのが最大のメリットだと感じました。

    自分は下手くそだから上手い人の意見を聞いて実践すれば間違いはない、なんて考えで練習してた自分が恥ずかしい…
    自分なりに考えて自分に最適な方法を考える…当たり前だけど凄く大事なことを思い出させて頂きました。

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    1. コメントありがとうございます。
      私も当記事で紹介している論文を読むまでは、アナタ様と同じように「ゆっくり弾けないのに速く弾けるわけが無い」と信じておりました。その気持ちで当記事を読もうとすると……このタイトルは鼻で笑いたくなりますよね、非常によくわかります(笑

      早速、当記事の内容を活かしてくださってありがとうございます。上手くいったようで私も嬉しいです。確かに、そのメリットはいいですよね。やはり、上達が十分に実感できるというのが、練習を続けるために必要な事柄だと思います。

      最後のコメント、その考えは非常に良いと思います。最終的には、私の考えた当記事内容でさえも踏み台にして、自身に最適な練習方法を生み出していっていただければと思います。

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