特集8: 「アドラー心理学」からピアノ練習方法を学ぶ1
こんにちは、リトピです。
今回は、「アドラー心理学」からピアノ練習方法を学んでみましょう。
「アドラー」といえば、書籍『嫌われる勇気』で一躍(?)有名になった心理学者の一人ですね。その続編として書籍『幸せになる勇気』が出版されました。「アドラー」旋風が巻き起こっていますね。というわけで…今回は、それら書籍による知見を用いて「アドラー心理学」からピアノ練習方法、さらには指導方法を学んでみましょう。
【幸せ】について本気出して考えてみた
「アドラー心理学」を知ると「人生が楽になった」もしくは「あれは単なる理想だ」と言う人がいますが、実際は【人生の劇薬】と言われるほどの衝撃的な内容を含んでいます。「アドラー心理学」の本質は、「人の目を気にせずに自分の思ったことを好き勝手やっていい」という自己中心的で迷惑極まりない内容を訴えているのではなく、「本当の人生(自立すること)は、自分の力で切り開いていかなければいけないんだ!」という、当然だけども実行するには非常に厳しくツライ内容を訴えています。
さて…ここで皆さんが気になるのは、どうすれば「アドラー心理学」の内容を実践できるのか、でしょう。実践できなければ、「アドラー心理学」は単なる理想で終わってしまいます。。。そこで、本記事では、ピアノをテーマに、どうすれば「アドラー心理学」の内容が実践できるか、つまりピアノ練習・指導で使えるのか、を私なりに解釈した内容にしてお送りします。
本記事は、特に以下の方々たちに向けて書かれています。今回はPart1ということで、「○○だから、自分は下手だ…と思うアナタ」へお送りします。
ただ、「それらを実践したからってどうなるの?」という疑問も出てくるでしょう。私は「アドラー心理学」をピアノ練習・指導に活かすことで音楽を続ける/伝える【幸せ】(喜び・楽しみ)が感じられる(得られる)と思っています。それら【幸せ】は自動的にどこからともなく降ってくるわけでもなく、誰かが勝手に与えてくれるわけでもなく…【自分の力】でGET*しなければいけないわけですから。つまり、その【幸せ】をGETする方法が「アドラー心理学」で学べる、というわけです。では、以下から本文開始です。1. ○○だから、自分は下手だ…と嘆くアナタへ
前編: 問題提議
単に【劣等感】から出てくる「自分は下手だ…」と思う気持ちは全然OKです。それは至極健全な考えです。その気持ちが向上心を生み、練習意欲が出てくるわけですから。でも、それにある理由を加えて「○○だから、自分は下手だ…」という考えをすること、ありませんか?以下によくある「○○だから…」の理由の例を挙げます。
- 身体的理由
- 手が小さいから…
- 指が短いから…
- 筋力がないから… etc.
- 環境・状況による理由
- 大人から始めたから…
- 練習量が足りないから…
- 練習時間が取れないから… etc.
なぜそんなことを言う必要があるのでしょうか。「アドラー心理学」では、このような考え方を【劣等コンプレックス】と呼んでいますが、そのセリフの裏には「○○が解消されれば、オレ/私だって上手なんだ!」という考えが隠されています。「○○だから、自分は下手だ…」という主張をすることで、「○○が解消されれば、オレ/私だって…」という
可能性のなかに生きることができる(『嫌われる勇気』p.65)わけです。別の言い方をすれば、「自分は下手だ…」という単なる言い訳として、あるいは演奏会でミスをして恥をかいてしまったときの保険として「○○だから…」という理由を持ち出しています。
その【劣等コンプレックス】がひどくなると大変です。いわゆる【悲劇のヒロイン】的な役を演じ、周りから「あぁ、あの人はなんて可哀想なの…」という同情集めをしつつ、「あの人は下手だ」というレッテルが自分自身に張られないように、周りをコントロールしようとする思惑…つまり、
自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする(『嫌われる勇気』p.89)思惑が(意識的、無意識的かは別として)働きます。ここで、「いや、そんな【悲劇のヒロイン】的な考えなんて一切持ってない!本当に○○が理由で自分は下手なんだ!」と激怒する方がいらっしゃるかもしれませんが…それは恐らく本人が気づいていないだけでしょう。
上記のように【可能性のなかに生きる】ことを【アナタ自身】が選択し続ける限り、ピアノの上達なんて絶対にしないです。なぜなら…その考えからは何の進展もないわけですから。
じゃ、「○○だから…」の○○が解消されれば我々はハッピーなのか。そんなことはない、というのが「アドラー心理学」の考え方。例えば「手が小さいから…」と言う人。恐らく、彼らの手が大きくなっても「手がゴツイから…」とか別の理由を持ち出して「自分は下手だ…」という事実(?)に対しての言い訳するでしょう。
別の例として「練習時間が取れないから…」と言う人。恐らく、練習時間がたくさんあっても「練習の仕方、時間の有効活用方法がわからないから…」とか別の理由を持ち出すでしょう。つまり、「○○だから…」と理由をつけて「自分は下手だ…」という人は、その○○を解決させても全く意味はない、ということ。別の言い方をすれば、○○が解消されても彼らはまた別の言い訳を探す、ということです。
恐らく、このような考え方が、「アドラー心理学」が【人生の劇薬】とも呼ばれる所以の一つでしょう。「○○だから…」と理由をつけて「自分は下手だ…」と言い続けている人に対して、「そんなんじゃ、まったく上達するわけがない…だけでなく、その○○を解決させても、実は全く意味はないぞ!」という現実を叩きつけ、しかも「そうさせているのは【お前自身】(の選択結果)だ!」と、追い打ちをかけるわけですから。。。
ちなみに…「そうさせているのは【お前自身】だ!」という考え、なんだか「アレクサンダー・テクニーク」に似ていますね(詳細は記事「導入1: 自力で腰痛を治したお話」を参照)。
中編: 上達に向けて考えること
では、「○○だから、自分は下手だ…」と考えてしまう人はどうすればいいのか。。。前編では、その【可能性のなかに生きる】ことを選択したのは誰でもない【アナタ自身】だ、というお話をしました。これは非常に厳しいように感じますが…この考え方を逆手に取れば、その選択を【変える】ことができるのも【アナタ自身】というわけです。ここに上記の救済・解決ポイントがあります。
「アドラー心理学」に沿って考えれば、まず初めにやるべきことは【自己受容】…なんですがその前に一つ、次のことを考えてみてください。
この思いが強くなければ、どんなに頑張って「アドラー心理学」を実践しようとしても途中で挫折します。なぜなら…【可能性のなかに生きる】というのは非常に楽なんです。何かダメなこと・ツライことがあっても「○○だから…」と言い訳して、その状況から簡単に逃れることができます。ただし、絶対に上達(成長・自立)はしませんが…
「アドラー心理学」を実践するということは、そのダメなこと・ツライことに真っ向からぶつかっていかなければならないんです。その【勇気】は今のアナタにありますか?書籍『嫌われる勇気』や『幸せになる勇気』で、事あるごとに頻繁に【勇気が足りない】などというワードが出てくる理由はそこです。「アドラー心理学」を「あれは単なる理想だ」という人は、自分が変わるために必要な
なにかの能力に足りないわけではありません。ただ“勇気”が足りていない(『嫌われる勇気』p.229)だけです。
もし、アナタが意地でも【可能性のなかに生きる】ことを選択し続けたいのであれば、それはそれで構いません。このブログ記事をそっと閉じてください。でも、【今の状況】を本気で変えたい、変える【勇気】がほしい、ということであれば、以下からその方法を一緒に模索してみましょう。
後編: 上達をするための考え方
さて、【今の状況】を本気で変えたいという気持ちが強くなったところで…次にやるべきことは【自己受容】です。これは、○○という身体を持っている自分、○○という環境・状況に置かれている自分、「自分は下手だ…」という事実(いや、それは単なる思い込みかも?)、すべてに対して【それでいいんだ】と思うことです。ただし、この考えは「悪い物・悪い事は全てなかったことにしよう」という「臭いものには蓋」的な考え方ではない、ということにご注意ください。
その違いをハッキリさせるため、「アドラー心理学」で突出すべき素晴らしい考え方の一つをご紹介します。
「大切なのはなにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか」(『嫌われる勇気』p.44)ここでの【与えられたもの】は、【自分の力】ではどうしようもないもの・変えられないもの、とお考え下さい。つまり、身体や環境・状況は全て【与えられたもの】と定義できそうですね。上記の【それでいいんだ】という考えには、【与えられたもの】は【自分の力】では変えられないわけだから、【与えられたもの】を用いて【自分の力】で変えられる方法を考えよう、という意味が込められています。
つまり…最初の方に挙げた「○○だから…」という理由である、自身の持つ「手の小ささ」や今の状況である「練習時間の短さ」などはどう頑張っても変えられない(練習時間は工夫すれば確保できる?)わけだから、そんなところにはいちいちフォーカスせず、今自分に【与えられている】「手の大きさ」「練習時間」などをどう利用・活用すれば【自分の力】で【今の状況】を変えられるか、と考えてピアノ練習に取り組むことが「アドラー心理学」を実践する、ということになります。
この簡単な具体例は、記事「お悩み相談室5: 演奏中走ってしまうのですが…」に挙げてありますので、ご興味があればご覧ください。
なお、最初に挙げた【劣等感】から出てくる「自分は下手だ…」と思う気持ち、人と比べて【劣等感】を感じてはいけません。比べるなら【理想の自分】や【昨日の自分】と比べること。なぜなら、自分に足りないものを知るには【理想の自分】と比較するしかなく。また、自身の上達具合を感じるには【昨日の自分】との比較しかありえませんので。他人との比較に意味はありません。つまり…
健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの(『嫌われる勇気』p.92)であり、
いまの自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値がある(『嫌われる勇気』p.93)わけですから。
さて…これらの考えの先に何があるのか。それは音楽を続ける/伝える【幸せ】を感じられる、ということなんですが…これ以上記事が長くなると大変になりそうなので、今回はここまで。
まとめ
本記事を要約すると、「アドラー心理学」によれば、より良いピアノ練習を行うためには以下のことを考えればよさそうです。
- 「○○だから、自分は下手だ…」という考えはダメ
- 実は「○○だから…」を解消させても意味はない
- 【今の状況】を本気で変えたいなら、その【勇気】を持とう
- 今持っている身体、環境や状況に対して【それでいいんだ】と思う
- 今持っている物を駆使して【自分の力】で【今の状況】を変えていく
そのため、「アドラー心理学」を知って、すぐさま「人生が楽になった」と考えている人は、この厳しさをすっ飛ばして「とにかく『嫌われる勇気』を持って、周りの目を気にせず、自分の好きなように、自由にしてればいいんでしょ!」という安易な(?)考えに陥っている可能性があります。これは単なる傍若無人なふるまいであり、残念ながら「アドラー心理学」を実践している、とは言えません。
この書籍のタイトルになっている『嫌われる勇気』という意味、「人の顔色を気にしながら、ご機嫌取り・ごますりしなきゃ、という相手に媚びる気持ち…を捨てる勇気」ではなく、「自分一人じゃ何もできないから、相手にナデナデ(良い子良い子)してもらおう、という相手に依存する甘い考え…を断ち切る勇気」だと私は考えています。後者は、よーく考えれば、それを実践するのがどれだけ難しいことか・厳しいことかが理解できるはず。
さて、今回は「「アドラー心理学」からピアノ練習方法を学ぶ」のPart1、ということで「○○だから、自分は下手だ…」と嘆くアナタへ向けて記事を書いてみました。次回はそのPart2ということで、残りの「ピアノを教える親・教師」「ピアノレッスンを受ける子ども・生徒」への「アドラー心理学」活用法と、その先にある音楽を続ける/伝える【幸せ】についてのお話ができればと思います。
補足: 本当に○○が解消されても意味はないのか
「アドラー心理学」的に考えれば、我々は「自分は下手だ…」という言い訳をしたいがために、○○が解消されてもすぐ別の理由を考える、とのことでしたが、純粋に○○が解消されても本当に意味はないのでしょうか。考えてみましょう。
- 身体的理由
- 手が小さいから…
- 指が短いから…
→ 重要なのは身体の「コーディネート」である - 筋力がないから…
→ 重要なのは「脳の機能を高めること」である
- 環境・状況による理由
- 大人から始めたから…
→ 「脳の可塑性」は大人も持っている - 練習量が足りないから…
- 練習時間が取れないから…
→ 必要なのは量ではなく【質】である
- 大人から始めたから…
…というのは半分ウソ。我々が執拗なまでに上記の(間違った)内容にすがってしまうのは「自分は下手だ…」ということに対する言い訳をしたいから。その理由が正しかろうが間違っていようがこの主張には全く関係ないわけです。
そのため、指導する側で大事なのは「物事の正しさ」を伝えることではなく「我々に与えられているものを用いて【これからどうするか】」を一緒に考えることです。なぜ、【一緒に】考えるのかは、次回Part2でお話しします。
では。
P.S.*【幸せ】について
そういえば、「三百六十五歩のマーチ」(昭和43年; 歌: 谷 真酉美, 作詞: 星野 哲朗, 作曲: 米山 正夫)の歌詞の出だしは
しあわせは 歩いてこない だから歩いて ゆくんだねでしたね。「【幸せ】は【自分の力】でGETしないと!」という考えは、今も昔も変わらないですね。
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