特集3: まず、「木」ではなく【森】を見よう ~身体編~

公開日: 2017年10月4日水曜日 ピアノ 持論 脱力

こんにちは、リトピです。

皆さんは、ピアノの練習でどんなところに注意していますか?いろんな人のピアノ練習ブログを読むと…それなりの人達が、身体に力が入り過ぎないようにと、「手首」や「肩」などの【とある部位】に注目して「脱力」を意識しているようです。

恐らく皆様も、それらの点に注意しながら、ピアノ練習をしているのではないでしょうか。そして、これら注意点を意識することは「そんなの常識・当たり前だ!」「今さら何を言ってるんだ?」…なーんて思っている人が大半でしょう。

そんな「常識」や「当たり前」と呼ばれる事項に、バッサリと切り込みを入れに行くのが当ブログの醍醐味(ぇ。っというわけで、今回の特集では、ピアノ練習でよく取り上げられているこれら注意点について、「それって、まったくの見当違いなんじゃない?」ということを、事例を交えながら述べています。

まず、「木」ではなく【森】を見よう

前編: 「脱力」信者は「木」しか見ていない

「木を見て森を見ず」ということわざがあります。これは「細かいことばかりに気を取られて、全体を見わたせないこと」という意味です(引用元: ことわざ◆諺◆百科)。これはピアノに限らず非常に重要な考え方だ、というのは、皆さん納得されると思います(例: 人生の教科書 HappyLifeStyle)。

身体編

さて、よくピアノブログで目にする「大事なのは「手首」の「脱力」です!」や「基本は「肩」から「脱力」することだ!」という文言(そのようなブログを書いている人たちの名誉(?)のために、URLの貼り付けは自粛)がありますが…

それってこういうこと(図1)ですよね?

図1. 「手首」、「肩」という【とある部位】に注目して演奏する時、意識している個所

このような意識で練習をしている人は、「手首」、「肩」という【とある部位】である細かい「木」ばかりに気を取られ、【身体全体】という【森】が見渡せていない状態だ、といえるのではないでしょうか(図2)。

図2. 身体に関する「木を見て森を見ず」の構図

ここで、「いやいや、我々だってちゃんと「肩」「腕」「手首」「指先」のすべての「脱力」を意識していますよ!」と言う人がいるかもしれませんが…それ、ただの「木」の詰め合わせですから。

図3. 身体に関する「木を見て森を見ず」の構図2

後編: 【森】から見ると本当にやるべきことが見えてくる

上記の考え方は、まさに「木を見て森を見ず」だ、というお話をしました。では…実際に【森】を見ると、「身体」についての意識の仕方がどう変わるか、について実例を交えながらご説明します。

身体編

ここでは、私の記事「番外編4: 「脱力」で、高速和音打鍵は絶対に出来ない」を例にして説明します。

その記事で紹介した学会誌には、プロのピアニストは以下の図4ような身体の使い方をして高速和音打鍵をしていることが載っています。

図4. プロが高速和音打鍵をする様子(森)

これこそが、「まず【森】を見る」行為です。こうやって、【森】を見てから「木」である各部位を見ていくと、面白いことがわかってきます。その学会誌と記事で紹介しているシンポジウムの発表内容によると、プロのピアニストは以下の図5のように各部位を扱っているそうです。

図5. プロが高速和音打鍵をする様子(木)

とりあえず、筋トルクは、自分自身が出している力の量とお考え下さい。

…あれ、なんだかおかしいですね。。。プロであるピアニストの「手首」の筋トルクは、初心者のものよりも小さいですが、まだまだ力が入っています。そして、特に注目すべきは、ピアニストが使っている「肩」の筋トルク。これは初心者が使っている「肩」の筋トルクの4倍以上あるように見えます。うーん、どうしたもんだ。。。

この結果を見る限りでは…プロの弾き方は、ピアノ界でよく言われている「大事なのは「手首」の「脱力」です!」や「基本は「肩」から「脱力」することだ!」という常識・当たり前の項目に反していますね。。。

「なんだ、プロも全然「脱力」できてないじゃん!」

「プロってのも、たいしたことねぇなあ。。。」

…なーんてコメントを、この記事を見た「脱力」信者がしたら大したもの。そんな人は「脱力」信者から「脱力」の【祖】に格上げじゃ!!

………それはさておき。。。
そのような「脱力」教から抜け出して、輝かしいピアノ・ライフを手に入れたい方は、このまま次をお読みください。

今、【森】を見てから「木」を見てきたので…せっかくですから、「葉」まで観察してみましょう。

上記結果を考察すると、以下の図6のようになります。この結果から推測すると、初心者は、肩の力を使えていないせいで、他の部位で足りない力を補ってしまっている、ということが見えてきます。

図6. プロが高速和音打鍵をする様子(葉1)

これは、「肩の力を使っていない」という【原因】があるから「他の部位に力が入ってしまう」という【結果】が現れている、という点に注意してい下さい。つまり、「他の部位に力が入っている」から「肩の力が使われていない」という意味ではない、ということに注意しましょう

これを別の視点で考えてみると、図7のようになります。

図7. プロが高速和音打鍵をする様子(葉2)

まとめ

ここまでくれば、「大事なのは「手首」の「脱力」です!」や「基本は「肩」から「脱力」することだ!」という考えは【まったくの見当違いだ】ということがご理解いただけたのではないでしょうか。

高速オクターブ連打の練習中、手首が痛くなったとき…全体を見ずに、その痛くなっている部位だけを見て「手首を「脱力」させなきゃ!」という「木を見て森を見ず」という考えをする人が非常に多いですが…残念ながら、その考え方では、何も解決しません。

さらに、そうやって「木」を見ることだけの状態が続いてしまい…「「肩」の力も「脱力」させなきゃ!」と思ってしまったら…結果はどうなるかわかりますよね。上記の結果を見る限りでは、初心者の弾き方から抜け出せないままになってしまいます。

いや、むしろ、「基本は「肩」から「脱力」することだ!」という項目が常識呼ばわりされいるせいで、初心者は「肩」に力を入れない弾き方をしてしまっているのではないか?と思います。

このような状態に陥らないためにも、まずはしっかり【森】から見ることが大事。それから、その【森】に生えている「木」や「葉」を一つ一つ見ていけばいいんです。そうすれば、上記の例のように、本当にやるべきことが見えてきます。

もしかしたら…「大事なのは「手首」の「脱力」です!」や「基本は「肩」から「脱力」することだ!」と言っている人たち(一部の「脱力」信者たち)は、そもそもピアノとは全く関係ない【森】の「木」を見ていたかもしれませんね。彼らは、プロがやっていることと違う事を言っているので。。。

図8. アナタの見ている「木」はどっちの【森】のもの?

今回は「木を見て森を見ず」という考えからピアノの弾き方を考えてみる、という内容で「身体編」について取り上げました。次回は、「打鍵」という動作の流れの「木」だけを見るとどうなってしまうのか、【森】から見るとどういうことが見えてくるのか、という「打鍵編」についてご説明します。

では。

P.S.
こういう話をすると、「ピアノの弾き方なんて千差万別なんだから、別に「脱力」という考え方があったっていいじゃない!」と批判する人がいます。別にそういう考えをしても構わないですが…すでに解明されつつあるプロの弾き方(肩の力を利用して打鍵する方法)を全否定してまで、「脱力」という言葉に固執する意味や意義はどこにあるのでしょう?

そのような「今まで、自分は昔から「脱力」という言葉を信じてずーっと必死に練習してきたんだっ!」という(意味のない)意地や(くだらない)プライドを無理やり押し通そうとするのはそろそろ止めませんか?…えっ?「脱力」は昔から続いている伝統的なピアノ奏法だって??…残念ですが、時代は刻一刻と移り変わっています。時代錯誤も甚だしいですよ!

P.S.2
また、ここで「リトピさんよぉ、「脱力」しながら弾ける方法・【重力奏法】をお忘れではないかい?」などと言う人がいるかもしれませんが、その考えも「木を見て森を見ず」です。重力奏法に関しては、次回の「打鍵編」で説明します。

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