コラム7: 努力は【必ず】報われる

公開日: 2017年10月18日水曜日 持論

こんにちは、リトピです。

このコラムでは、ピアノ以外の雑多なことを書いていきます。今回は、「努力」について。

努力は報われるの?

我々がよく頑張っているときに使う言葉、「努力」。この「努力」という言葉については、様々な議論があります。特にこの「努力は報われる」論争は、スポーツや芸能界などでも肯定派、否定派がはびこっていて…例えば、サイト「J CAST ニュース」によれば、お笑い界の大御所 明石家さんま氏は、2014年6月7日放送の「MBSヤングタウン土曜日」(MBSラジオ)でこう語ったそうだ。

「好きだからやってるだけよ、で終わっといた方がええね。これが報われるんだと思うと良くない。こんだけ努力してるのに何でってなると腹が立つやろ。人は見返り求めるとろくなことないからね。見返りなしでできる人が一番素敵な人やね」
要は、このサイト内の記事タイトル「「努力は必ず報われる」論争に明石家さんま参戦 「そんなこと思う人はダメですね、間違い」」の通り、さんま氏は、この「努力は報われる」論をバッサリ切り落としています。

また、同氏は、サイト「livedoorニュース」によれば、2017年10月14日放送の「MBSラジオ「ヤング・タウン」」で、「努力は必ず報われる」を座右の銘とする人に対して、こうも語ったそうだ。

「これはもうやめた方がいい。『努力をすれば報われるかも』にしておいた方がいい。努力して挫折する人もたくさんいるから、努力をすれば必ず報われるという考えは直ちに変えた方がいい」
…ここでは、さんま氏の発言しか紹介していませんが、同サイトの記事によると、「「努力が報われる」と思う人はこの30年間で激減している」らしい。つまり、このような発言に同調している人が多くなっているのでしょう。

さて、この記事を読んでいるアナタはどうお考えでしょうか?私は、このコラム記事のタイトル通り、「努力は報われる、しかも【必ず】」と考えている数少ない(?)人の一人です。

ただし、この論争で言い争われている内容とは違う考えを持っています。ところで皆さん、「努力は報われる」の【報い】ってそもそもどんな意味かご存知ですか?

「報い」とは

私が、この「努力は必ず報われる」論争でいつも気になっているのが、「報い」の意味。なんだか、この意味をはき違えている人が多いような気がしています。皆さん、努力した後、得られた結果が自分の思い通りになったとき【だけ】を「報われる」と考えていませんか?

実は、「報い」の意味はこうなっています。

報い:
1 ある行為の結果として身にはね返ってくる事柄。善悪いずれについてもいうが、現在では悪い行為の結果についていうことが多い。
2 労苦に対するつぐない。報酬。
3 前世の善悪の行為の結果が、現世で現れること。因縁によって果報を受けること。
4 仕返し。返報。

出典:デジタル大辞泉(小学館)
この「報い」の意味を上記2「労苦に対するつぐない。報酬。」だけだと思っている人、結構多いのではないでしょうか。実際の「報い」で得られる事柄には、「良し悪し」というものはないんです。ここが大変重要。

努力して「はしご」を登ると…

ここで、書籍『7つの習慣』の著者スティーブン・R・コヴィー氏の名言を一つ紹介します(参考: 徳本昌大の書評ブログ!毎日90秒でワクワクな人生をつくる。)。

「はしごをかけ違えていれば、一段ずつ登るごとに、間違った場所に早く辿り着くだけである。」
これは…当たり前ですよね。でも、その当事者は、この当たり前に気づけないものなんです。

ちょっと考えてみてください。とある目的地に到達するために、アナタは、目の前のはしごを登ろうとします。もしこのとき、【間違った】はしごを選んでいたら…たとえどんなに努力して、頑張って、必死になってそのはしごを登っても、たどり着くのは…

図1. とある目的地に到達するためには、まず「はしご」を登らなければならない、が…

…当然【間違った】場所ですよね。このとき、以下のように考えている人が多いように感じます。

「なんで!?あんなに努力して、頑張ってはしご登ったのに!!」ヽ(`Д´#)ノ
「なんだよ…結局、努力って報われないじゃん。。。」 T_T

図2. 努力してはしごを登ったにもかかわらず(?)、【間違った】場所に辿り着いてしまった。。。

しかし、ここで「報い」の本当の意味を考えれば、この状況はこのように考えることができます。

努力して【間違った】はしごに登ったので、ちゃんと(?)【間違った】場所に辿り着いた

そもそも「報い」とは「ある行為の結果として身にはね返ってくる事柄。」という意味でした。つまり、上記の内容は、「ある行為 = 【間違った】はしごを登る」の「結果 = 【間違った】場所に辿り着く」が「身にはね返って」きただけです。

そして、これを努力すればするほど、つまり、【間違った】はしごを速く登れば登るほど、この「【間違った】場所に辿り着く」という「結果」がすぐ「身にはね返って」きます。

ね、【努力はちゃんと報われている】でしょ?だって、(【間違った】はしごを速く登るという)努力をした分だけ、(【間違った】場所に辿り着くという)結果が早く返ってくるんですから。。。

この考え方を屁理屈と思うかどうかはあなた次第ですが…そもそも、努力による「報い」が、自分にとって良い結果だけを与えてくれる、という考え自体が浅はかではないでしょうか。

【目的の場所】に辿り着くために

さて、「努力は【必ず】報われる」というのがわかったところで、最終的に【目的の場所】に辿り着けなければ、意味がありません。上記の図では「はしご」はたった2つ、しかも先が見えている状態だったので、【目的の場所】に辿り着くのは簡単ですが…現実はそう簡単ではありません。

図3. 現実は、【目的の場所】に辿り着く【正しい】はしごは、そう簡単に見つけられない

こんなカオスな状況で、我々はどうしたら、ちゃんと【目的の場所】に辿り着けるのでしょうか?

実は、この答えは非常に簡単。まず一つ目のはしごを登ってみて、もし「【間違った】場所に辿り着いた」ということがわかったら、さっさと今登ったはしごを降りて、次のはしごを登ればいいんです。

もし、その次のはしごの先がまた【間違った】場所なら、また次のはしごを登ればいいんです。これを繰り返していけば、いつかは確実に【目的の場所】に辿り着けます。

そして…目の前にあるはしごの先が、【間違った】場所なのか、【目的の場所】なのかは、実際に登って見なければわかりません。どうせ先がわからないのなら、登るか登らないかを迷う前に、さっさと登った方が絶対に得です。

図4. 世の中にたくさんあるはしごの中から、【目的の場所】に辿り着ける【正しい】はしごを見つけるには、片っ端から登ってみるしかない

ここでもし【間違った】場所に辿り着いてしまって、あれだけ必死に登ったはしごを降りるハメになっても、それは決して「ミス」でも「逃げ」でも「負け」でもないです。その行動は、【次のはしごに登るための第一歩】なのですから。

しかも、【登ってみて、初めてわかること】というのもたくさんあります。だからこそ、登るか登らないかを迷っているのであれば、さっさと登った方が絶対に得です。

図5. はしごを登ってみて、初めてわかることもある。この例では、(b)のはしごを登ったことで、(c), (e)は【目的の場所】に辿り着ける【正しい】はしごではない、ということが判明。

私は、「登るか登らないかを迷う前に、さっさと登った方が絶対に得」と述べましたが…それは、ただ単にがむしゃらに、全てのはしごを登れ、と言っているワケではありません。上記のように、【登ってみて、初めてわかること】という知見・経験を活かせば、あえて全てのはしごを登る必要はありません。

図6. 【登ってみて、初めてわかること】という知見・経験を活かせば、全てのはしごを登ってみなくても、【目的の場所】には辿り着ける。この例では、図5で判明した知見を利用し、(d)と(f)だけを登ってみた。その結果、【目的の場所】に辿り着けた。

「成功」に「努力」は関係ない

ちなみに、「努力」について、作曲家のベートーベンはこう語っています(引用元: 格差脱出研究所)。

「努力した者が成功するとは限らない。しかし、成功する者は皆努力している。」
しかし、これは実際のところどうなんでしょう。個人的には、やっていることが成功するかどうかに「努力」は関係ない、と考えています。むしろ、同じ「成功」であれば、努力は【より少ない】方がいい、とでさえ思っています。

ちょっと考えてみてください。成功する、つまり、【目的の場所】に辿り着けるのは、「正しい」目標・目的を掲げ、それに向かうための「正しい」方法、かつ、「正しい」手法を行ったときのみです。ここに「努力」があったかどうかは、まったく関係ないです。

例えば、アメリカという【目的の場所】に辿り着きたければ…まず「正しい」目的地(アメリカはどこ?)を把握し、「正しい」方法(飛行機で行く)、かつ、正しい手法(チケットを買う、現在地から成田空港に向かう)を行わないと、アメリカに行くという「正しい」結果(= 成功)は得られないです。この流れの中に、どれくらいの「努力」があったかなんてまったく関係ないです。

逆に、例えどんなに努力しても、ヨーロッパ行き(【間違った】目的地)の飛行機に乗ったら、絶対にアメリカには辿り着けない(成功しない)し、どんなに頑張って、歩いて(【間違った】方法)も、福井空港(定期便がない空港)に行って(【間違った】手法)も、これまた、絶対にアメリカには辿り着けない(成功しない)です。

図7. 目的が達成できる(= 成功する)かどうかに、【努力】の量は関係ない。むしろ少ない方がいい

このような【間違った】努力は、【間違った】結果という「報い」を、我々に与えてくれる。これが、私の考える「努力は【必ず】報われる」です。

また、アメリカという【目的の場所】に辿り着くという「成功」をするためだったら、わざわざ、【ファーストクラスに乗る、という大金を払う「努力」】なんてしなくていいんです(お金に余裕のある人は【エコノミークラスに乗る、という窮屈な場所に耐える「努力」】に置き換えてくださいw)。

私が、【同じ「成功」であれば、努力は【より少ない】方がいい】と言っているのはこういう事です。そもそも、努力は「やればやるほど、何でも、誰でも、必ず結果がドンドン良くなる」という魔法のアイテムではない。やっていることが悪ければ、どんなに努力しても結果は悪くなるし、逆に、やっていることが正しければ、特に努力なんてしなくても、良い結果は得られます。

ただし、やっていることが「正しい」かどうかは、【やってみなければ(or 調べてみなければ)わからない】です。だから、まずやってみなさい。やったことに対しての「努力は【必ず】報われる」んですから。そして、その受けた「報い」を次にどう活かすか、ということを考えるのが一番大事です。

ただし…これら話が通用するのは、その、【目的の場所】が、人間にとって到達可能な場合だった場合です。人間ができないような内容を目標に掲げたら、どんなことをしても、絶対にその【目的の場所】には辿り着けません。ここだけは注意してください

図8. 人間が決してやることのできない「脱力」を【目的の場所】にしてしまうと、その場所へは、人間をやめない限り、辿り着くことはできない。

まとめ

今回のまとめです。あんなに頑張って、努力したのに、物事がうまくいかなかったときに考えることは…

  1. ×: うぅ…努力って報われないなぁ… T_T
  2. ○: これは、【間違った】はしごに登っていた結果なだけだ。
    → さっさと、次のはしごに登ろう

…ということでした。登っているはしごが【間違って】いたら、たとえどんなに努力しても、【間違った】場所にしか辿り着けません。

発明家のエジソン氏は、電球を発明するまで1万回も失敗…もとい、

「失敗ではない。うまくいかない方法を一万通り発見しただけだ」
…と言っています(参考: The Answer)。つまり、エジソン氏は、電球を発明するという【目的の場所】に辿り着くために、1万もの「はしご」を次々と登り降りしていたんです。すごいですよね。

ただし、これに、どれだけの量の「努力」があったか、というのは、成功理由とは全く関係ないです。だって、努力は「やればやるほど、何でも、誰でも、必ず結果がドンドン良くなる」という魔法のアイテムではないのですから。。。

っというわけで、一つのはしごを登っただけで「努力は報われない…」なんて嘆いている暇があったら、さっさと次のはしごを登りましょう。そうすれば、誰でも、必ず【目的の場所】に辿り着けますよ(ただし、その【目的の場所】が人間にとって到達可能な場所だった場合に限る)。

次のコラムでも、続けて「努力」についてお話したいと思います。内容は「努力(のし過ぎ)による「ケガ」は【美徳】なの?」というものです。スポーツや楽器の練習で、努力しすぎるあまり(?)、大ケガをして、引退してしまう人、いますよね。「努力は【必ず】報われる」と言うなら、彼らの努力も報われているのか?という問いに、バサッと切り込んでみます。

では。

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