読むときに気を付けるべき書籍2-4(身体編): 『目からウロコのピアノ脱力法』

公開日: 2019年8月8日木曜日 ピアノ 持論 重力奏法 書籍 脱力

こんにちは、リトピです。

こちらは、個人的に、間違いやミスリードの記述が多いと感じた書籍をご紹介するコーナーです。 本来ならば購入しない方が望ましいのですが、何かの手違いですでにご購入されてしまった方への 救済として本コーナーを設けております。

これは前回の続き。そしてそのシリーズの最後です。

『目からウロコのピアノ脱力法』
馬場 マサヨ 著, yamaha music media

今回は、前回説明したこの書籍の「物理知識が浅い」という説明の続きです。そして、このシリーズの最後。

では早速、この説明に入ります。

ヘンな点4. 身体の使い方全般

馬場さんのプロフィールには「フェルデンクライスを学んだ」とあります(参考: 馬場マサヨ 公式サイト)。しかし、この書籍からは、残念ながらフェルデンクライスについて何も感じられませんでした。

なぜ、リトピがそう思ったのかについてこれから話していきます(が、フェルデンクライスを知らない人にとっては理解しがたいかも?)。

ここでは、フェルデンクライス・メソッドの参考書として『フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころをひらく』を挙げておきます。フェルデンクライスに興味をお持ちの方はどうぞ。(なお、以下の引用のページ数は、『フェルデンクライス身体訓練法―からだからこころをひらく』から)

4-1. 重力に逆らう力は無駄なの?

これ、私が『目からウロコのピアノ脱力法』を読んで一番ガッカリした部分。フェルデンクライスを知っていれば、絶対にそんなことは言わない。なぜなら、フェルデンクライスでは……

いかなる姿勢でも、自然の法則にさからってさえいなければかまわない、ということになる。つまり、骨格構造が引力に抗って働き、筋肉がいつでも動けるよう自由になっていればいいのだ。そのように神経系と筋肉骨格組織が重力の作用のもとでひとつになって働けば、骨格は引力の影響にもかかわらずエネルギーを浪費せずにからだを支えられることになるのである。
(中略)
生きている限り、前進体機構のあらゆる部分が、重力にたいして適合しなくてはならない~(p.93)

という考えがあります。また、

よい意図的な動きが生まれるのは、随意コントロールと重力にたいするからだの自動的反応とのあいだに対立がなく、そのふたつが一体となり、互いに補い合って単一の中心から命令されたかのように見える行動が行われる場合~(p.116)

なんです。つまり、フェルデンクライスを知っている人ならば、ここで言うべきセリフは……

  1. × 重力に逆らう力は無駄!
  2. ○ 重力にたいする力は自然(適切)に使え!

のようにならなければおかしい。確かに、フェルデンクライスにもいろんな考えがあるかと思いますが、少なくとも、重力に逆らう力は無駄だとは絶対に言わない(これはボディワーク全体に言えること)。

『目からウロコのピアノ脱力法』で馬場さんが最初に言い放った「重力に逆らう力は無駄!」という発言で、「この人、フェルデンクライスの何を知っているわけ?」と感じたわけです。非常に残念だ。。。

4-2. 手の中心はどこ?

『目からウロコのピアノ脱力法』のp.44では、「手首を1指側に傾けている」恰好を間違いとしており、p.52では、「さて、2指が前方向を指す場合と、3指が前方向を指す場合、前腕と手首の角度はどちらが自然なのでしょうか。答えは2指中心に手を置いたときです。」と書いています。

さらに、馬場さんはこう続けます。p.52で「手の中心は2指であって、3指ではありません。(中略)前腕からの力をまっすぐに伝えやすいのが3指ではなく2指なのも、2指が手の中心だからです。」と。。。

そう言える根拠は……?うーん、私が見た限り、少なくともこの書籍内で、2指が手の中心だと言える根拠はどこにも見当たらない。。。

では、フェルデンクライスに代表されるボディーワークでは、手(と前腕の組み合わせ)をどう扱っているのでしょうか。

例えば、フェルデンクライス同様、世界三大ボディワークの一つであるアレクサンダー・テクニークを基にした書籍『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』では、馬場さんがダメと言っている「手首を1指側に傾けている状態」(実際には小指主導の状態)を良しとしています。

さて、ここに2つの異なる主張がありますね。困ってしまいそうですが、どちらがより正しいかは、すぐわかります。前者『目からウロコのピアノ脱力法』には2指が中心である根拠が全然ありません。でも後者『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』では、きちんとした根拠があります。それは、前腕の小指側の骨(尺骨)が前腕の(回転)軸であり、その軸の延長である小指をその軸とそろえることで「手や腕の動きは小指を中心に、その周りから生まれます」とのこと。当然ですが、前回紹介した書籍『筋骨格系のキネシオロジー』にも、尺骨が前腕の回転軸であることが書かれています。

……ということは、「前腕からの力をまっすぐに伝えやすい」のは馬場さんが根拠なく(?)主張する2指……ではなく、前腕の回転軸上にある5指であり、5指を中心にしてその軸(尺骨)との線をそろえることが、より自然なかまえだと言えるわけです。

4-3. 子どもは大きな音が出せない?

『目からウロコのピアノ脱力法』の終盤「第6章 子ども時代に無理な力をいれないようにするには」では、p.107で「例えば、腕や指が細い女の子に多く見受けられることなのですが(中略)腕の重さが足りず、重さを支える指もくにゃくにゃしている状態なので、大きな音を出すことが難しい~」と馬場さんは言っている。

「重力奏法」を謳う人は、こうやって主張することが多いみたいですが、なぜ「もしかして、腕の重さで(腕の重さに耐える指を作って)打鍵しようという考え方自体には、問題があるのでは!?」という考えが誰からも浮かばないんだろう?

確かに、子どもは大人に比べて筋肉量が少ないですから、腕の重さに耐えるだけの指を作るのは難しいでしょう。でも、そもそも、その行為に意味があるのか?それ以外のやり方でピアノを弾く方法はないのか?という疑問を、なぜ誰も持たない?

以下は本からの引用ではないですが、フェルデンクライスの創始者はこう言っています(参考: ギタリストの語る学び方の学び)。

無理をすればするほど感じられなくなります。
子供は大人ほど、力いっぱい筋肉を緊張させられません。
それが子供の感受性と学習能力の高さにつながっています。

馬場さんは、子どもが大人ほど筋肉がないことをマイナスに捉えていましたが(筋肉がつくまでは別のこと(?)に目を向けさせる)、フェルデンクライスではそれをプラスに考えます。つまり、子どもは、大人よりも筋肉量が少ない分、そのおかげでそれらを使った動きから得られる繊細な情報が大人よりも多い(ウェーバー・フェヒナーの法則より)ため、効率的に学習ができる、とフェルデンクライスでは考えているわけです。

散々この書籍紹介で言っていますが、そもそも、ピアノを弾くときは腕の重さなんて指に【乗せない】んですから、「重さを支える指もくにゃくにゃしている状態」を気にする意味がない。そんな意味のないことを気にして、感受性の高い子どもの貴重な練習時間を無駄にするのはさっさと止めて、フェルデンクライスの言うように、子どものうちにいろんなことに挑戦させ、様々な動きを通してたくさん学習をさせるのが一番だ、と私は思います。

4. 小まとめ~身体の使い方全般~

さて、『目からウロコのピアノ脱力法』の身体の使い方全般でおかしなところを、フェルデンクライス・メソッドなどを通して再考察してみましたが……(自分自身の)身体って、わかっているようで全然わかっていない、というのがよくわかったと思います。どんなに意識しても、(自分自身の)身体ってなかなかわからないものです。

それをどうやってわかろうとするか?つまり、「今自分が何をしているのか?ということに気付く」ためにはどうすればいいのか?というのを見つける方法の一つがフェルデンクライス・メソッドなどのボディーワークなんじゃないか、と思います。

こういう話に興味がある人、特に自身の身体が(原因不明の)痛みを抱えている人は、何かしらのボディーワークを勉強した方が良いと思います。今後のより良い人生を自分の足で進んでいくためにも。(ただし、ボディワークは痛みを取り除くことが目的ではない、という点に注意。それは単なる効果の一つであり、実際は、自身の中の【気付き】を高めていくことに重点が置かれています)

この書籍の紹介(批判?)は、ようやく終わりますが、もうちょっとお付き合いください。そろそろまとめに入ります。

フェルデンクライスを利用したピアノ奏法の考察

まとめの前に……せっかくなので、フェルデンクライスを学んだ人ならピアノ奏法をどう解釈するのか?を考えてみましょう。

例えば、フェルデンクライスでは、「楽な動作」をこう考えます。

楽な行動とは、感覚と筋肉が調和を持って調整されることである。(p.118)

ピアノ弾きが目指すべき楽な動作って、やはり力を抜くこと……じゃないというのは、フェルデンクライスからも十分学べます。こういうことを言っているのは、別に私だけじゃない(っというか、私がそういうボディワークの考えに突き動かされた、と言ってもいいかも)。

また、フェルデンクライスでは、「効果的な動き」をこう考えます。

効果的な動きをするためには、からだを動かすのがつらい仕事は、その目的のためにつくられた筋肉にまかせなくてはならない。(p.120)

さて、『目からウロコのピアノ脱力法』で紹介されていた「腕の重さを乗せるために等尺性収縮をしている指の筋肉」は、果たして、腕の重さを乗せるという「その目的のためにつくられた筋肉」なのだろうか?みなさん考えてみて。

そして、フェルデンクライスは、こうも考えます。

からだがよく調整されていれば、大きい筋肉の行う仕事は、骨格を伝わり、弱い筋肉の助けをえて、最終目的地まで到着するが、その途中でほとんど力を失うことがない。(p.120)

これぞ、シャンドール氏の言う「コーディネート」。これ、実際にプロはそうやって身体を使っているというのが、いろんな研究結果で明らかになってます(例: トレモロ肩を使った打鍵連続オクターブ)。さすが世界三大ボディーワークと言われたものの一つ。人間の身体を熟知した人たちの言うことは違いますねぇ。こういう教えをまったく理解せずに「私はボディーワークを学んだ」って言っちゃダメでしょ。彼らにとても失礼だと思う。

さらに、フェルデンクライスでは、身体のこわばりをこう考えます。

動作につきまとう不必要な努力は、からだを縮小させることになりやすい。
(中略)
ある程度の困難が予想されるような動作にとりかかる際はつねに、その困難にたいする防衛手段としてからだが縮こまる。まさにからだのこの硬化反応こそ、不必要な努力が生ずる原因であり、からだを動作のために正しく組織するのを妨げるものである。(p.129)

ここで言われている「動作につきまとう不必要な努力」こそ【身体の(余計な)力み】であり、この身体の(余計な)力みを取り除きたければ、「脱力」……ではなく「動作につきまとう不必要な努力」そのものを取り除く必要がある、ということがわかります。そして、それを取り除くため、つまり……

能力の限界を広げるためには、執拗な努力を重ねたり、からだをかばおうとしたりすべきではなく、探求と理解の力によらなくてはならない。(p.130)

要は、根性論でがむしゃらにたくさん努力しても意味はなく、探求と理解の力を養うことがまず大事、ということ。

だから、当ブログでは、いろんな研究結果を紹介し、探求と理解の力を養い、能力の限界を広げつつ、「動作につきまとう不必要な努力」を止め、それに伴う【身体のこわばり】を取り除こうってことをしているわけです。探求と理解なしに、余計な力・無駄な力を抜く方法はありません(つまり意味不明な「脱力」という言葉だけでそれらの力が抜けることはない)。

これこそが、フェルデンクライス・メソッドに基づくピアノ奏法の考察だ、と私は思うけどなぁ。。。

最後に

この書籍『目からウロコのピアノ脱力法』を4回に分けて紹介(批判?)してきましたが、いかがだったでしょうか?こういった書籍を読む際は、本当に気を付けた方がいいです。気を抜くと、書籍内の「矛盾」や「推測・考察の甘さ」、「物理知識の浅さ」や「身体の使い方全般」にコロっと騙されてしまいます。なんか、現代のピアノ界の闇(?)がたくさん詰まった書籍って感じだったな。。。

「でも待ってよ。アマゾンの評価や、他ブログでの紹介では、「この書籍を読んでピアノがより弾きやすくなった!」と言っている人がいるよ。リトピってば、ちょっと考え過ぎ・やり過ぎ・言い過ぎなんじゃないの?」と思う人も多々いるでしょう。

でもね、実はフェルデンクライスでは、こういう考えがあるんです。

ひとはそれぞれ自らの主観的イメージ通りに行動する(p.36)

要は、『目からウロコのピアノ脱力法』の読者の主観的イメージ(アレクサンダー・テクニーク的に言えば「ボディマップ」)が、書籍に乗っている解剖図を見たことによって多少良くなったため、今までよりもピアノが弾きやすくなった、と考えられます。

アマゾンの評価や、他ブログでの紹介で高評価をつけている人たちは、恐らく全員「今まで人間の骨格・筋肉を正確に把握していなかった人」もしくは、「今までそんなのにまったく気にかけていなかった・興味を持っていなかった人」だと思いますよ。そんな人たちが、あの書籍に乗っている解剖図を見たら、誰だって自らの(身体に対する)主観的イメージが良くなるに決まってます。最初に言ったでしょう、この書籍は「今まで人間の骨格・筋肉を知らなかった人たちをカモにした書籍」だって。

ただ、今までこの4回で説明したように、この書籍には矛盾や推測の甘さなどが多々あるため、それ以上の上達の見込み(主観的イメージの向上)はこの書籍からは得られない、と断言しておきます。そのため、みなさんはこんな書籍を読むのをやめて、もっともっと質の高い書籍を読んで、どんどんアナタ自身の主観的イメージ(ボディマップ)を良くしていきましょう。それが、ピアノをもっともっと上手に弾けるようになるコツ……を自分自身で掴めるようになる唯一の方法だと思います。

では。

P.S.

せっかくなので、なぜ馬場さんはこういう書籍の内容を書くハメ(?)になったのかを考えてみた。

馬場さんは、書籍の最初にこう書いています。

私は幸運なことに東京藝術大学でピアノの高良芳枝先生(中略)という素晴らしい師に出会うことが出来ました。高良先生には重量奏法の基本を(中略)教えていただき、そのことが今の私の考え方の基本になっています。(はじめに)

調べてみました、高良芳枝先生 (東京藝術大学)のこと。

いろいろ読んでみましたが、厳しいけれども良い先生だったみたいですね(参考: 高良芳枝先生伝説のレッスンわたしたちのピアノ教育史ー受け継がれるバトンー 二宮裕子 第4回「最強の恩師 高良芳枝」)。でもね、この人が活躍していた時代は、あまりにも古すぎる。。。
1959年より東京藝術大学,桐朋学園にて教鞭をとる
(参考: 高良芳枝先生の想い出

恐らく、馬場さんがこの書籍で、ブライトハウプトの重量奏法(1905年)とほぼ変わらない主張をしているのはこの人のせいでしょう。恩師を称えるのはいいことだろうけど、今となってはその人の教えは古い、古すぎるよ。。。馬場さん、今からでも遅くないから、これからの未来を背負っていく生徒たちのためにも、今すぐにでも重力奏法の情報を更新してほしい、と切に願う。

また、書籍の最後で、馬場さんは…
本書の執筆にあたり、麹町白石接骨院院長の白石洋介先生(博士(医学)・柔道整復師)に、筋肉の構造や動きについて詳しくご教示いただきました。(おわりに)

と言っています。なのでこちらも調べてみました、白石洋介先生 (麹町白石接骨院院長、博士(医学)・柔道整復師)のこと。

まず肩書きにある柔道整復師について調べてみたら、この書籍に書かれている(ピアノ演奏とは無縁の)骨格や筋肉の説明は問題がなかった理由はわかった。この資格(?)を取るにはいろいろ履修しなければいけないみたいですね。
参考: 柔道整復師とは
昔から「ほねつぎ」「接骨師」として広く知られ、現在は高校卒業後、都道府県知事が指定した専門の養成施設(三年間以上修学)か文部科学省が指定した四年制大学で解剖学、生理学、運動学、病理学、衛生学、公衆衛生学などの基礎系科目と柔道整復理論、柔道整復実技、関係法規、外科学、リハビリテーション学などの臨床系専門科目を履修します。

でも、肩書き通り、彼の「主な研究テーマ」(参考: 麹町白石接骨院院長紹介)を見る限りでは、音楽関連とは無縁っぽい。。。なんで馬場さんは、あえてこの人にピアノ奏法の説明本における人間の筋肉の構造や動きの監修を頼んだんだろう?

そもそも、骨格や筋肉の説明がピアノ奏法としっかりと結びつけられないんだったら、あえて無理やりピアノ奏法の書籍に解剖図とかを載せる意味はないです。なぜなら、そういうことになじみのない読者が余計にこんがらがってしまうので。。。(それらを結びつけるためには、ピアノだけじゃなく物理的知識が必須。残念ながら、馬場さんには後者が足りなかったのでしょう。なお、『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』や『ピアノ・テクニックの科学』はそれらがしっかりと結びついている。)

そう考えると、今のところ、ピアノ奏法関連の書籍の医学的な監修で素晴らしい人は、 『ピアノを弾く手』の著者であり、あの 『ピアノ・テクニックの科学』を監修していた酒井 直隆先生しかいないんじゃないかなぁ(参考: PTNA【インタビュー】第28回 酒井直隆先生 「手の痛みとピアノ奏法」)。
まぁ、この書籍程度の内容じゃ、この方は監修してくれないかもだけど。。。


P.S.2

中にはファンもいたりして、こういった書籍紹介(批判?)を嫌う人もいるでしょうが……そういうみなさんは、ここまでいろいろ調べて書籍を読み解く、ってやったことあります?

「あなたたちの中でここまで詳しく調べてみたことがある者だけが、石を投げなさい」

それはさておき(ぇ。ピアノ奏法の説明をした書籍が乱立してきた今日、こうやっていろいろ調べた上で、そういった書籍を読み解いていかないと、本当に騙されます(もちろん、著者に読者を騙す気は一切ないでしょうが……)。そうやって騙されたことに気付かないまま練習を続けると、当然練習の効果は薄いですから、その時間が無駄になります(無駄になるだけならまだいい。ケガしたら終わりですよ)。

みなさんには、そういうことに十分気を付けていただきたい、という想いで、私はこういった書籍を紹介しています。

ただ、私一人じゃいろんな書籍を紹介するにも限界があるので、今回紹介したような書籍に騙されないよう、みなさんには自己防衛として普段から、少なくとも物理的思考は働かせておいてほしい、と思っています。別にね、何も高校や大学で習うような難しい物理を勉強しなさい、と言っているわけじゃないです。中学物理さえあれば、誰でも「あれ、これおかしくね?」と思えるようになりますから。まずはそういった疑問を持つことが大切。一方、そういった疑問も持つこともなく、こういった書籍を鵜呑みにしながら読み進めてしまうのが一番怖い、と私は考えます。

こういう書籍を買って(&書かれている内容を何も考えず鵜呑みし、信じて)しまった人は、次から気を付けられるよう、そういった思考を普段から養うとよいのではないでしょうか。

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2 件のコメント :

  1. それほどのトンデモ本なら逆に読んでみたくなりました。

    アマゾンの試し読み「はじめに」の項では、

    >子供の頃から「指先をしっかりしてその他の力を抜きましょうと指導されてきた」
    しかし、
    >指先をしっかりさせようとすると、必ず腕にも力が入ってしまう

    とあり、この先生は「腕の脱力」「指先の強化」にこだわった結果、
    師匠の教えから抜け出せないまま、独自の理論を編み出してしまったのでしょうね。

    高評価のレビューが多いだけに、権威ある人の教えを疑うのは難しいのだなと感じました

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  2. コメントありがとうございます。
    この書籍をトンデモ本だと思いながら読むと、ある意味で勉強になる(如何にしてよくある誤った思考が構築されているのか?が垣間見える)ので、もしお金に余裕があればぜひ読まれてみてください。

    いまだに音楽関連(特にクラシック)では、師匠の教え(いわゆる伝統)は絶対だという風潮があるので、どんなにおかしな考えだろうと師匠の考えから抜け出そうなんてことを、この著者は微塵も考えていないのだろうと思います。

    高評価のレビューもよく読んでみると、単に解剖学に着目していることだけが持ち上げられているだけで、この書籍に書かれていることをキチンと読めて理解できていない印象を受けます。

    当記事でも書きましたが、この書籍が「今まで人間の骨格・筋肉を知らなかった人たちをカモにした書籍」だと感じたのはそういったレビューが多いからでした。人気だから・権威があるからその人の発言が正しい、という風潮が無くなることを祈るばかりです。

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