読むときに気を付けるべき書籍1: ピアノ脱力奏法ガイドブック 1
こんにちは、リトピです。
こちらは、個人的に、間違いやミスリードの記述が多いと感じた書籍をご紹介するコーナーです。 本来ならば購入しない方が望ましいのですが、何かの手違いですでにご購入されてしまった方への救済として本コーナーを設けております。
記念すべき(?)1冊目はこちら。
『ピアノ・脱力奏法ガイドブック Vol.1〈理論と練習方法〉』
岳本 恭治 著, サーベル社
著者である岳本さんは、公式HPでこの書籍について、
日本初の脱力奏法を総合的に解説したガイドブックが完成しました! 「脱力奏法」について理論的に、かつ実践的なトレーニング方法を学ぶことが出来ることが、この本の最大の特徴です。と言っていますが、もしこの書籍に書かれていることが本当に「脱力奏法を総合的に解説」されているのであれば、 「脱力」は、結局よくわからない奏法であることを、この書籍自身が証明する、という皮肉な結果に。。。
先に、この書籍でよかったことを挙げると… この書籍のメインである「指の関節関連」「腕の重さ関連」「脱力練習方法」はおいといて…ピアノの構造の話や様々な巨匠の言葉は結構良かったです。さすがは岳本さん、ピアノの構造や歴史をみっちり研究されているだけあります。
では、どこらへんに間違いやミスリードの記述が多いのか、一つ一つ見ていきましょう。これは、人間の「筋肉・骨格の構造」や「アレクサンダー・テクニーク」をきちんと理解していないと、この間違いやミスリードにハマってしまうので、正しい知識を持ち、本当に注意深く読み解く必要があります。(ページ数の記入は私によるもの。)
この書籍の4つの間違いとミスリード
間違い1. 指の関節で腕の重さを支えられる / 強靭な関節が作れる・鍛えられる
いきなり本書メインの話題。この書籍、やたらと指の関節の専門用語が出てきますが、それが本書をわかりにくくしているのだ、と思ってはいけません。わかりにくいと感じる本質はもっと違うところにあります。 例えば、冒頭の部分で、
脱力奏法とは?(p.4)そして、追い打ちのように…
(前略) 手のアーチが理想的で、MP関節が腕を支えつつ、
(中略)
この奏法を実行するためには、腕の重さを支えられる強靭な関節を作らねければなりません。
鍵盤の操作5 (p.33)「関節が腕を支え」られるように「強靭な関節を作らねければなりません」ってどういうこと?と思うでしょうが、私の記事「お悩み相談室6: 指の関節が弱いのですが…」をご覧になった方は、どういうことかわかるかと思います。関節は鍛えられるもんじゃないし、腕の重さを支えられるようには出来ていません。いくらアーチ形がいい、といっても、所詮は指の細い骨で構成されているだけなので、その強度には限界があるはずです。
- (前略) 指の関節は重みに耐えられるだけの支えとして固定されなければならない。
この書籍のトレーニング方法を見る限り、関節をつなげている靭帯の主成分であるコラーゲンを大量摂取しているわけではないので、恐らく著者は「指を曲げ伸ばしする筋肉を強化しろ」と言っているのでしょうが、これがそういう意味だったとしても、それには疑問が残ります。詳細は、私の記事「なぜ「脱力」は敵なのか5: 身体は鍛えるな。感覚を鍛えろ。」をご覧ください。
また、以下の部分も理解しがたい内容です。
指を鍛えるトレーニング (p.37~)
<トレーニング1> (p.37)
DIP(あるいはIP)関節を鍛えて、鍵盤に不要な力を加えず打鍵できるようにしましょう。
<トレーニング2> (p.39)これを、どうにか解釈しようとすると、「指の各関節がしっかりしていれば、腕本来の重みを指先・鍵盤に伝えられ、鍵盤に不要な力を加えず打鍵できる」ということでしょうか。
腕本来の重みをしっかり受け止め、DIP(あるいはIP)関節に伝えられるように、MP関節を鍛えます。
これは、どうやら著者は重力の存在を忘れているかもしれないですね。単に関節をしっかりさせただけでは「鍵盤に不要な力を加えず打鍵」なんてできません。本来は、キチンと腕を支えつつ、上腕二頭筋の「伸張性収縮」を利用することで「鍵盤に不要な力を加えず打鍵」出来るんです。詳細は、私の記事「番外編1: 重力を利用した演奏方法の正しい解釈」をご覧ください。
間違い2. 指の関節は、個々に曲げることができ、個別に強化もできる
この書籍の文面を見ると、そう言っているようにしか受け取れません。例えば…
身体のフォーム(p.17)これは、指の関節の専門用語を使ってなかったとしても、非常に理解しがたい文章でしょう。関節を固定するには、屈筋と伸筋を同時収縮させるほかありません。指の関節を固定させるために、指を曲げ伸ばしする筋肉の両方に力を入れつつ、でも余分な力を入れない、とは一体どうすれば。。。
- MP関節(指の付け根)を固定しますが余分な力は、入れないようにしましょう。
- DIPもしくは、IP関節(指先の関節)を固定しますが、余分な力は、入れないようにしてください。
また、関節に関しては、
<トレーニング(2)のA・Bの注意点>(p.32)
- 第1指: ~MP関節に力を入れすぎず、~
- 第2指: DIP関節が特に弱い場合が多く見受けられます。~
MP関節の力を緩め~ (p.30など)とも書かれています。こんな感じで、あたかも、指の中に個々の関節を自由に動かせる筋肉があるような記述が多いこと多いこと。でも本当は、指の関節周りには(肘や膝と同じような)筋肉はついていません。(詳細は、私の記事「お悩み相談室4: 指を独立させたいのですが...」を参照)
でも、こう表現したい気持ちはわかります。なぜなら、人間には「感覚受容器」(メカノレセプター)と呼ばれる、 関節の角度や筋肉の収縮の情報を脳に送っている器官が関節に多くあります(参照: Column Latte)。そのため、関節に意識が向いてしまうのは仕方がないことでしょう。我々は多かれ少なかれ「ずさんな感覚意識」を持っているので。
でも、この書籍を「日本初の脱力奏法を総合的に解説したガイドブック」と謳うのであれば、もっと正しくわかりやすい内容で本質的な部分に目を向けてほしかった。これは「筋感覚」を鍛えること(詳細は、私の記事「お悩み相談室7: ピアノの練習方法を教えてほしいのですが…その1」を参照)が必要かもしれないですね。
間違い3. 親指もMP関節を意識する
個人的には、この間違いは、この書籍の指の関節話の中で…いや、この書籍全体の中で、一番最悪だと思っています。例えばここらへんの記述。
<トレーニング(2)のA・Bの注意点>(p.32)
- 第1指: ~MP関節に力を入れすぎず、~
ブラームスの第1指交差トレーニング (p.35)そして、「手の構造の知識」(p.12)では手の骨格図を出しているのにもかかわらず、親指はMP関節(とIP関節)が大事、と言ってしまっています。著者は、腱間結合の話を出せるくらい手の知識をお持ちなのに…これは非常に残念。。。本当に正しい手の構造・使い方は、書籍『ピアニストならだれでも知っておきたい「からだ」のこと』をご覧ください。
(前略)ここでは第1指を柔軟にし、MP関節に腕の重さを載せ、IP関節でしっかり支え打鍵できるようになる~
では、親指はどこの関節を意識すればいいのか。詳細は、私の記事「お悩み相談室4: 指を独立させたいのですが...」をご覧いただければと思うのですが、親指のMP関節を意識してしまうと、いわゆる「マムシ指」を誘発する恐れがあると、私は推測しています。
だって、「マムシ指」の恰好をすると、親指のMP関節に力が入ったような感覚、そこの関節で腕の重さを支えられそうな感覚がするもん。(理由は、親指のMP関節を軸に曲げ伸ばしする筋肉が同時収縮しやすいから…かな?関節が固定されたような感覚になるので。)
間違い4. 拳骨で得られた「脱力時の腕の重さで打鍵」の感覚が指の打鍵でも得られる
○ページ目に、重力奏法の説明でよく使われる、拳で弾く練習方法(?)がトレーニングとして紹介されています。確かに、これは「「脱力」時の腕の重さで打鍵」を簡単に実感できますが、それがこのフォームの怖いところ。くそぅ、昔私もこれで騙されました。
指と拳骨じゃ、各骨に伝わる圧力(正確には応力)が違うんです。残念ながら、腕の重さを変えない限り、拳での打鍵と同じ感覚を、指の打鍵で得ることはできません。詳細は、私の記事「本当は怖い重力奏法1: もっともらしく見える/感じるワケ」をご覧ください。
ミスリード1: 鍵盤にかけるのは重さ
例えば、こんな記述。
鍵盤の深さ(あがき) (p.7)その他、上記間違いで取り上げた部分でも鍵盤に重さをかける、というような記述が非常に多いです。でもピアノを弾く際、鍵盤にかける重さを変える(f = m(t)g)のは間違ったイメージで、本来は鍵盤にかける力を変えます。詳細は、私の記事「番外編2: 正しい解釈をピアノ打鍵へ応用」をご参照ください。
(前略)pからmfまで十分にならすためには200 g~700 gが必要になります。1 kgを越すと弾き方によっては、かなり雑音が混ざるようになります。
ミスリード2: 「脱力」は腕の支えの力すら抜くこと
以下の記述を読むと、そうにしか感じ取れません。
身体のフォーム (p.17)
- 上腕(腕の付け根を十分に緩めます。)の力を抜きます。
- 前腕(肘を十分に緩めます。)の力を抜きます。
鍵盤の操作4 (p.33)
- 腕を放り投げる感覚。腕の付け根が外れる感覚。
鍵盤の操作5 (p.33)本当に「脱力」にそんな意味があるのであれば、「脱力」は即刻禁止ワードにすべきです。これらの表現は本当にヒドイ。。。
- 腕を他の人に下から叩き上げてもらい、自然に落下すれば脱力ができている。
なぜなら、書籍『ピアノを弾く手』によれば 「手は支えられることによって軽くなる」 んですから(詳細は、私の記事「番外編1: なぜ人は「脱力」できたと思うのか」を参照)。この書籍の冒頭で、書籍『ピアノを弾く手』にも出てくるドイツの名ピアノ教師デッペ氏の話を出しているだけに、これも非常に残念な記述です。。。
ミスリード3: 身体の使い方全般
これは「アレクサンダー・テクニーク」を知らないと陥りやすい表現なので、いくら著名な人はいえ、このミスリードは仕方がないこと…なのかな。。。でも、このままの表現ではミスリードにハマってしまい、最終的には身体を壊してしまうでしょう。ここは細心の注意を払いながら読むことが必要です。例えばこの文面。
身体のフォーム (p.17)一つ一つ、「アレクサンダー・テクニーク」に倣ってひも解いてみます。
- 胸鎖関節(首の付け根)に力を入れないようにしましょう。
- 背中を真っ直ぐにして下さい。
- 腰を起こし、胃を持ち上げる感覚。
- 肩を上げないようにしてください。
- 胸鎖関節: 肩・腕の始点なので、一番大事な関節。自由に動かせられるようにしましょう。
- 背中: 自然なカーブまで真っ直ぐに伸ばそうとしてはいけません。
- 腰: 背骨と骨盤の間くらいにあるとされるこの部分、「アレクサンダー・テクニーク」では定義としてない部位なのですが、「感覚受容器」があるので意識しやすいそうです。でも腰には関節がないので上半身の一部として扱ってください。
- 肩: 動きを制限させると、呼吸しにくくなったり、腕全体の可動範囲が狭まる可能性がありますので、自由に動かせられるようにしましょう。
ミスリード4: 「まとめ」
この書籍のp.41にあるまとめですが、ミスリードの解説と共に簡単にまとめます。
- 身体のフォーム: 背中は真っ直ぐではなく、自然なカーブを大事に。
- 腕の重さを知る: 「腕の付け根の関節がはずれそうになる感覚」「外れて落ちるイメージ」ではなく、キチンとその腕を支えましょう。
- 手のフォーム: 「「腕の重さ」が肘にずっしり乗ってくる」のではなく、キチンと腕を支えましょう。
- 「MP関節周辺の余分な力」は間違った感覚。関節で腕の重さは支えられませんので、キチンと腕を支えましょう。
- 「上腕と前腕のフワフワ感とMP関節のグラグラ感」…これよくわからないヒドイ表現ですね。この後のページにもよく登場しますが、キチンと腕を支えていれば、こんな感覚を得ようと試みる必要はありません。
- 「MP関節から打鍵していますか?」は、下手すると、主に虫様筋を利用して打鍵するかもしれないミスリード。それでは第一関節と第二関節が弱いと感じてしまいます。(詳細は、私の記事「お悩み相談室6: 指の関節が弱いのですが…」を参照)
私のまとめとしては、まず「キチンと腕を支える」こと。この一言に尽きます。
この書籍の総括
これら、間違いやミスリードから察するに、たぶん岳本さんは、書籍『ピアノを弾く手』で言われている「間違った重力奏法」を、いまだに支持しているんだと思います。。。 この書籍について岳本さんは「日本初の脱力奏法を総合的に解説したガイドブック」と、とっても素晴らしいことを謳っていますが、ピアノ界でかなり権威のあるお方が、この書籍でこれだけの間違いやミスリードを犯しているのは非常に残念でなりません。
一番気になるのはこの出版社。恥ずかしながら「サーベル社」という会社を初めて聞きましたが、なぜこんな企画・内容でGOサインを出したのだろうか。。。また、岳本さんは、この書籍を題材にしたセミナーを各地で行っているようですが、これら間違いやミスリードに対して、どんなことを言っているのか気になりますね。
と、いうわけで、この書籍は、人間の「筋肉・骨格の構造」や「アレクサンダー・テクニーク」をきちんと理解していないと、間違った理解のまま練習をしてしまう可能性が高いので、正直オススメできません。
もしかしたら、岳本さんの別の著書「ピアノ音楽史Ⅰ」「ピアノ音楽史II」は、私が良いと思ったピアノの構造の話や様々な巨匠の言葉がたくさん含まれていそうなので、結構良い書籍かもしれないですね。出版社も日本J.N.フンメル協会と別のところなので。
では。
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