番外編2: 「脱力」というワードは危険

公開日: 2015年11月11日水曜日 ピアノ 持論

こんにちは、リトピです。

ピアノのアドバイスや目標でよく聞く「脱力」というワード、どうやら「余計な力/無駄な力を抜く」という意味のようですが、その考え方は間違っている(詳細: 記事「番外編: なぜ人は「脱力」できたと思うのか」)だけではなく、大変危険だということがわかりました。

たとえば、こんな例を見てみましょう。

  • 勉強してもテストの点が良くなかった。その原因は…
  • 勉強の仕方が悪かった
  • 勉強量が足りなかった
  • (テストの問題が悪かった←)
と考えるのは当たり前ですよね?(最後のは別として…)
  • でも、練習してもピアノが弾けなかったときは…
  • 「脱力」の仕方が悪かった
  • 「脱力」が足りなかった
  • (このピアノが悪い!←)
と、考える人やアドバイスする人が多いんです。 ぉぃぉぃ、そこはピアノの練習方法(弾き方)が悪かった、じゃないの? それともなんだ、「脱力」ってピアノがうまくなる魔法か何かなの?

せめて、「脱力」=「余計な力/無駄な力を抜く」だったら、そんな無駄な力がどこにあるのか、どのタイミングで発生するのかをアドバイスすべきじゃない?まぁ、それは無理でしょうけど

とにかく…私が言いたいのは、「脱力」という言葉があるせいで、なぜか通常の思考(もしかしたら練習方法や弾き方・考え方自体がおかしい?と思うこと)ができなくなってしまう、ということです。

それが危険なのはここから。
手を痛いと感じたときも、「脱力」というワードのせいで通常の思考ができてないと、図1のようになります。

図1. 「脱力」に固執した場合の思考とその結果
普通なら、手を痛めた時点で「その弾き方・考え方がおかしい」と考えるはず。。。でも、そうならない原因は、(少なくとも日本の)ピアノ界では、なぜか「正しい弾き方」=「脱力」になっているからでしょう。

この「脱力」というワード、全然良い意味はないですが、シンプルかつわかりやすい(イメージしやすい)言葉だけにたちが悪い。確かに「力を抜けば楽になるはず」と考えるのは、もしかしたら自然なのかもしれませんが、手は「脱力」するから軽くなるんじゃなくて

手は支えられることによって軽くなる
んです。(書籍『ピアノを弾く手 ピアニストの手の障害から現代奏法まで』より)

「脱力」という結果を追い求めても、そこには何もないことを早く知って、腕をしっかり支えて、このスパイラルから抜け出しましょう。

では。

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