ピアノ・コラム2: 本当に、譜面通りに演奏しなきゃいけないの?

公開日: 2015年11月24日火曜日 ピアノ 持論

こんにちは、リトピです。

今回も「バジル先生のココロとカラダの相談室」で共感した話題をお話しします。

「譜面通りに演奏」ってどこまで?

特にガチガチのクラシックでは、「楽譜に書いてあることがすべて。全ての表記を守り、正しく演奏すべき!」と言われています。これはもちろん、私も賛成です。しかし、プロのピアニストを目指す人はとりあえず別として、これってどこまで追求すればよいのでしょう。

すべてのピアノ弾きが、本当に楽譜通り、すべての表記を守り、正しく演奏したとしましょう。それって音楽として本当に面白いですか? いろんな歳、レベル、環境を持っている人がいるからこそ、様々な音楽・芸術が生まれ、育っていくんだと思います。

「譜面通りに演奏」しすぎて…

さて、バジル先生は「譜面より「自分」が大事」で、

譜面通りに、正しく、良い演奏をする。
それは「あるひとつの結果」です。
その「あるひとつの結果」ばかりが強調され、求められると、その結果に至る過程が見過ごされやすくなります。
と、おっしゃっています。もちろん結果は大事ですが、「譜面通りに演奏しなきゃいけないという言葉にとらわれすぎると、 そのプレッシャーで身体がこわばり、逆にいい演奏ができなくなってしまうでしょう。

これ、賛否両論あるかと思いますが、私は納得。だって、譜面通りに演奏することだけ目指して、無理しすぎてケガをし、ピアノが弾けなくなったら…それこそ本末転倒ですからね。。。

「完璧主義」という考えを捨てる

また、別の記事でバジル先生は「演奏技術の問題を、放っておくという知恵」で、

実は
ほんとうに「問題=直さないといけないもの」を抱えているプレイヤーはとても少ない
ように思えます。

むしろ、
奏法上や演奏上の「問題」見なされているものの多くは、上達や成熟により時間がかかるだけで、いつものように演奏に取り組んでいるうちに自然とクリアできるようになる
と思えるのです。
と、おっしゃています。これは本当に納得。技術的な問題って、今すぐ(それこそ、お腹がすいたからお金を払って食べ物を買うように)解決できるような問題じゃないですからね。

そして、バジル先生はこう続けます。

したがって、わたしたちは全般的に言って、
問題を直そうと(無駄に)もがく、もぐらたたきのような作業に時間を費やし過ぎ
な傾向が顕著であり、
冷静に考えてみると、その作業が問題解決や技術の向上につながっていない
ことが多いことに思い当たるのではないでしょうか?
いやぁ、本当その通りですな。例えば、あるフレーズが弾けなかった(問題)とき、それを改善させようと、(無駄に)「脱力」する方法を必死に会得(作業)しようとします。それ、冷静に考えてみると、問題解決や技術の向上につながってないでしょ?(詳細は、記事「番外編2: 「脱力」というワードは危険」を参照)

「演奏技術の問題を、放っておくという知恵」、こういう考えもナイスですね。いいんです、弾けない箇所があっても。さすがに、コンクールとかがあれば話は別かもしれませんが、こうやって考えると、案外さらっと弾けなかったところが弾けるようになっちゃうかもしれないですね。要は気の持ちよう?

友達の演奏の方が好き

ところで、ピアノが下手だからって全然悲観になることはありません。そもそも下手って何?自分の実力が、昨日より今日、今日より明日、レベルアップできていれば、それでいいじゃないですか。

いくら上手だからって、悲観している人の演奏より、実力がない人でも前向きで楽しく演奏している方が何倍も良いですよ。もしかして、プロと自分を比べてる?何万時間も練習しているプロと比べるなんて、それは単なる傲慢ではないでしょうか。

そしてこれは、私のエピソード。おかしいかもしれませんが、ショパン作曲「ノクターン第13番ハ短調Op.48-1」は、プロのピアニストの演奏より、友達の演奏の方が好きです。理由は…私は、友達のショパン好きを十分知っていて、その友達のショパン愛が演奏にたっぷり込められている(気がする)から。もちろん、ピアニストも友達のショパン愛に負けないくらい好き、というのはわかりますが、身近な人の演奏ほど特別なものはありません。

実は、友達はプロでなく、ピアノも大学から始めた人。ミスタッチもあれば、楽譜通りに弾けてないところもしばしばあります。でも音楽・芸術の良さは別のところにあるはず。

音楽・芸術とは

ここで、芸術とは…

本来的には技術と同義で,ものを制作する技術能力をいったが,今日では他人と分ち合えるような美的な物体,環境,経験をつくりだす人間の創造活動,あるいはその活動による成果をいう。芸術という言葉は,利用する媒体や作品の形態によって伝統的に分類される数多くの表現様式の一つを示すこともある。
出典: ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
と、あります。ここで厄介なのは、芸術の「他人と分ち合えるような」という部分でしょう。この分かち合う範囲が狭いのが、一部の評論家や(自称)音楽家ではないか、と思っています。例えば、演奏が下手だから、音楽表現が乏しいから、「譜面通りに演奏」しなかったから、という理由だけで批判され、激しくなると彼らが舞台に立つことすら禁止させようとします。レベルの高い演奏を自分に求め、厳しくするならまだしも、相手にまで求めるのは、正直どうかと思います。

ミスタッチのない、譜面通りの完璧な演奏を求めているのであれば、人類最強と謳われる(?) "Marc-Andre Hamelin"級のピアニストか、不可能という文字を知らない "Michael Nanasakov"の演奏でも聴いてればいいと思います。(もちろん彼らを批判しているわけではありません。彼らの演奏は完璧で本当に素晴らしく、私の好きなピアニストたちです。)

まとめ

長くなりましたが、要は、「譜面通りに演奏」というのは、「今現在の自分の実力で出来る範囲で」かつ、楽しく演奏すれば良い、というのが私の結論です。もちろん、演奏技術向上のために、日々試行錯誤しながら、成長しなければなりませんが、よっぽどのことがない限り慌てる必要はないでしょう。そして、他人の批判なんて気にする必要はありません。アナタらしくピアノ演奏するのが一番です。

では。

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