なぜ「脱力」は敵なのか2: 脱力 (余分な力を抜く) は間違い

公開日: 2015年10月2日金曜日 ピアノ 持論

こんにちは、リトピです。

ピアノを弾くときは、「脱力」を意識しなさい。と言われることが多々あるでしょう。 ただ、本来の意味 (前の記事「なぜ脱力は敵なのか」を参照)はここでは使われておらず、恐らく「余分な力を抜く」という意味で皆さん使われているかと思います。 「余分な力を抜く」ことこそが「脱力」であり、ピアノを弾く極意だ、ということなのでしょう。私もそう信じていた時代がありました。

そもそも、余分な力ってなに?

ピアノを弾く、というのはかなり複雑な動作なので簡単にして考えてみましょう。

普段から行っている歩くという動作を思い浮かべてください。 歩くために必要な力以外の力がいわゆる余分な力、ということになるでしょうか。 では、ここで質問です。

  1. A: 余分な力にフォーカス
  2. Q1. その余分な力は、どこで、どのように、どのタイミングで、どれくらいかかっているか、説明できますか?
  3. Q2. さらに、その余分な力のみを抜き去る (「脱力」する)ことができますか?

普段から毎日のように行っている歩くという動作にも関わらず、これらを回答することはかなり難しいでしょう。 さらに、その説明できない部分の力のみを抜き去るなんて…そもそもできるものなのでしょうか? しかも、ピアノを弾くという、より複雑な動作中にこんなことを意識するなんて…うん、私には絶対に無理です。 「脱力」を謳っている方々、「脱力」信者には、こういうことは朝飯前なのでしょうか。。。

しかし、逆に、以下の質問ではどうでしょうか。

  1. B: 歩く、という動作そのものにフォーカス
  2. Q3. 歩くときは、どこを、どのように、どのタイミングで、どれくらい動かしているか、説明することができますか?
  3. Q4. さらに、その部分をもっと大げさに動かすことはできますか?

という問いにはすぐ答えられる、もしくは実際にやって見せることもできるでしょう。ちなみにQ4はQ2の逆、つまり「余分な力を抜く」という「脱力」とは反対のことをやってもらっています。 この、実際にやって見せることができる、というのがとっても重要で、これができないと教えることも教わることもできないと考えています。 「脱力」という「余分な力を抜く」行為 (上記Aのこと)は、「動作する = 力を入れて行う」という本来のイメージ (上記Bのこと)からかけ離れすぎていると思いませんか? ここでも「脱力」という言葉が、ピアノ演奏者を惑わせる要因になっているのでは、と考えています。

では、Bという動作そのものにフォーカスした場合、今現在発生している余分な力はどう考えて処理すればよいのでしょうか。 えっと…実はそれを考える必要はまったくないんです。動作そのものを極めてください。

しかし、ここで「いや、だって、その余分な力がピアノ演奏やその動作の邪魔をしているんだから、それを取り除くために「脱力」が必要なんでしょ!?」と思っている方もいらっしゃるでしょう。

そこで質問。

  1. Q5. 余分な力はなぜ発生するのでしょうか?

「脱力」を意識してしまうと、この根本的なことが抜けてしまうような気がします。 だって、そもそも余分な力がかからなければ、「脱力」は必要ないでしょ?

続きは次の記事「余分な力はなぜ発生するのか」で。

では。

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